コース概要
青森から八甲田山山麓を上りロープウェイの展望を楽しんで酸ヶ湯温泉に宿泊。酸ヶ湯から黒石に下り重伝建の町並みを散策、田舎田舎館村の田んぼアートを見学して弘前に移動。弘前市内の近代建築を巡り弘前城へ
距離:86.8km
獲得標高:1,323m
青森~酸ヶ湯温泉
新青森駅からスタート
十和田湖・酸ヶ湯へ向かう
5~6%くらいの勾配で八甲田の山裾を上っていく
眼の前に見えてくる形の良い山は雲谷峠
雲谷でモヤと読みます。モヤヒルズというスキー場を中心としたアウトドアやレジャーを楽しめる総合リゾート施設があります
すこし勾配が上がる箇所もありますが全体としてはきつくない
岩木山展望所
展望所という割に木が茂りすぎてて岩木山を眺めることができる場所は限定的
展望所から3kmほど走ると
萱野高原に出ると視界が広がり
高原らしい草原の中、八甲田連山が見渡せます
道沿いに茶屋があるので寄ってみると
名物「しょうがみそおでん」が目に飛び込んでくる
当然食べました。生姜の効いた甘口の味噌。いままで食べたことのない味付けでした。寒い時に食べると温まりそう
ココらへんは特に勾配が緩やか
もう1軒茶屋が有りました
また少し勾配が上がって
少し下ると
八甲田ロープウェーの乗り場があります
ロープウェーに乗って山頂公園へ
雲谷峠の先に青森港
スマホのデジタルズームでガビガビだけど青森港の三角ビル・アスパムが確認できました
右手を見れば夏泊半島から突き出た茂浦半島が見える八甲田ロープウェー山頂公園駅:標高: 約1,314m。八甲田の主峰・大岳は標高1,585m
山頂駅のある田茂萢岳を約30分〜1時間で回れる自然遊歩道「八甲田ゴードライン」が整備されています
田茂萢湿原を眺めていきましょう
岩木山の頭が雲に隠れてしまいました。バッチリ見られれば絶景なんでしょう
遊歩道を歩かなくても山頂駅に見晴らし台があります
山頂駅の屋内には
映画「八甲田山」の写真が多数掲示されています。健さん!
ロープウェーを下り
城ヶ倉大橋への分岐を直進して酸ヶ湯へ向かう
すこしまた上って
酸ヶ湯温泉をいったん通り過ぎる
その少し先の酸ヶ湯インフォメーションセンターを中心に自然観察路が整備されています
インフォメーションセンターの向かいには登山道の入口
田茂萢湿原を眺めていきましょう
岩木山の頭が雲に隠れてしまいました。バッチリ見られれば絶景なんでしょう
遊歩道を歩かなくても山頂駅に見晴らし台があります
山頂駅の屋内には
映画「八甲田山」の写真が多数掲示されています。健さん!
ロープウェーを下り
城ヶ倉大橋への分岐を直進して酸ヶ湯へ向かう
すこしまた上って
酸ヶ湯温泉をいったん通り過ぎる
その少し先の酸ヶ湯インフォメーションセンターを中心に自然観察路が整備されています
インフォメーションセンターの向かいには登山道の入口
300mほど進むと地獄池。沼の対岸から約90℃の強酸性の温泉が毎分2,700リットルも流れ込んでいます
道の向かい側を少し入った「賽の河原」
硫黄の香りが漂い蒸気があちこちから吹き出しています
さらにその先に
95℃の高温の出湯が中を通る木箱に、服を着たまま腰かけて温まる「まんじゅうふかし」
ポカポカしました
この日は酸ヶ湯温泉に投宿。
昔ながらの素朴な風情を残している湯治場
泊まった部屋は築90年。隣の部屋の人の話し声がよく聞こえました(笑)
総ヒバ造りの混浴「千人風呂」が名物!程よい刺激の酸性の温泉。体の芯まで温まる
路地を北へ進むと江戸時代から地域で大切に使われてきた歴史ある湧水「御膳水」と
富田の清水(とみたのしつこ)。昭和60年に環境庁(現・環境省)の名水百選に選ばれた湧水です。水槽が4つに仕切られており、上流から「飲用」「米磨ぎ」「食器洗い」「洗濯」と使い方のルールが現在も伝わっています
ボトルにいただきました!
弘前鉄道の踏切と
土淵川を越えて
さらにその先に
95℃の高温の出湯が中を通る木箱に、服を着たまま腰かけて温まる「まんじゅうふかし」
ポカポカしました
この日は酸ヶ湯温泉に投宿。
昔ながらの素朴な風情を残している湯治場
泊まった部屋は築90年。隣の部屋の人の話し声がよく聞こえました(笑)
総ヒバ造りの混浴「千人風呂」が名物!程よい刺激の酸性の温泉。体の芯まで温まる
酸ヶ湯温泉~黒石
雨が降っていたので街歩き中心のプランを選択。酸ヶ湯温泉から少し青森側に戻り
左折して城ヶ倉大橋を渡る
天気が良ければ橋からは八甲田連峰や青森市街、岩木山を望むことができるはずですが、この日は生憎の雨
サーッと通り過ぎます
スノーシェッドを何度かくぐり
黒石市に入る
スノーシェッドが雨の日は助かる!
国道394号が国道102号に突き当たるので右折
国道から左に入り
黒石温泉郷の温湯温泉の街を少しぶらつく
400年以上の歴史を持ち、共同浴場「鶴の湯」を中心に昔ながらの湯治場情緒を残す温泉街。ここも宿泊地の候補だったんですが今回は酸ヶ湯温泉にしました 内湯を持たず、自炊設備を共用しながら長期滞在して共同浴場に通う「客舎」と呼ばれる宿泊形態が多数営業していたようですが
現在「客舎」として営業しているのを確認できたのは後藤温泉客舎だけでした
サーッと通り過ぎます
スノーシェッドを何度かくぐり
黒石市に入る
スノーシェッドが雨の日は助かる!
国道394号が国道102号に突き当たるので右折
国道から左に入り
黒石温泉郷の温湯温泉の街を少しぶらつく
400年以上の歴史を持ち、共同浴場「鶴の湯」を中心に昔ながらの湯治場情緒を残す温泉街。ここも宿泊地の候補だったんですが今回は酸ヶ湯温泉にしました 内湯を持たず、自炊設備を共用しながら長期滞在して共同浴場に通う「客舎」と呼ばれる宿泊形態が多数営業していたようですが
現在「客舎」として営業しているのを確認できたのは後藤温泉客舎だけでした
内湯を備えた伝統ある温泉旅館「飯塚旅館」なども営業しています。
鳴海醸造店から先の北側260mの範囲が国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に指定されています
「菊乃井」の酒蔵・鳴海醸造店は重伝建地区の中でも最大規模の建物東角は倉になっています
主屋の前面に庇を張り出し、日常の往来に供される「こみせ」と呼ばれる通路
この地区は伝統的な木製の「こみせ」が連続する町並が保存されています
国の重要文化財に指定されている「高橋家住宅」
江戸時代中期に建築され、築270年以上経過している建物
「玉垂」の蔵元・中村亀吉酒造

2軒隣の和菓子屋「松葉堂まつむら」で買ってきたこの地方の名物「干梅」をいただきました。白あんを求肥で包み紫蘇で巻いたお菓子です


鳴海醸造店の斜め向かいの角にある「すずのや」はご当地グルメ「黒石焼きそば」のお店
太くて平たい太平麺
「玉垂」の蔵元・中村亀吉酒造
軒先に杉玉が吊るされています
銭湯の建物を活用している松の湯交流館
イベントスペースや休憩所として使われています
お風呂は入れません
中の休憩スペースで2軒隣の和菓子屋「松葉堂まつむら」で買ってきたこの地方の名物「干梅」をいただきました。白あんを求肥で包み紫蘇で巻いたお菓子です
松の湯交流館の裏手に出ると
黒石市消防団第3分団の建物
これも塔屋が凝ったデザインしてます
鳴海醸造店の斜め向かいの角にある「すずのや」はご当地グルメ「黒石焼きそば」のお店
太くて平たい太平麺
化け焼きそばというメニューは焼きそばに汁が添えられてきて
つゆ焼きそばとしても楽しめます

そして地方によくあるスナック通り。それなりに栄えていた街だったことが感じられます
黒石から南西に進み
浅瀬石川を渡り田舎館村へ入る
国道102号沿いの道の駅に入ると
展望台があります
展望台に上ると田んぼアートを見ることができます。訪れた時は青森が誇るローカルアイドル「りんご娘」が描かれていました。タレントとして活躍している王林さんの出身グループですね
視線を移すと津軽を代表する文豪・太宰治がお馴染みの憂鬱な表情を見せています。こちらは石アートだそうです
田んぼが広がる向こう側に青森を取り囲む山々の姿
弘前鉄道の踏切をわたり西へ向かう
田んぼを舞う白鷺をこの日は数多く目にしました
展望フロアへ
リアリティーを求めない潔さ、嫌いじゃないです
明治30年に建てられた一戸時計店(建築当初は三原堂弘前支店)
街角で見かけた中土手魚菜センター。のっけ丼で有名な青森魚菜センターは知ってたけどここら辺では生鮮市場を魚菜センターと呼ぶのかな?
弘前の近代検知を見て回ります。まずは日本聖公会弘前昇天教会教会堂
大正9年(1920年)に立教大学校長を務めたジェームズ・ガーディナーの設計で建設された赤レンガ造りの教会。正面右寄りに立つ三角塔の鐘はアメリカで鋳造されたもの
眼の前に中央弘前駅があります
150mほど南へ進むと弘前れんが倉庫美術館
1907(明治40)年から1923(大正12)年の間に酒造工場として建てられたとされ、戦後は国内初の大々的なシードル製造工場だった建物
耐震補強・改修を経て2020(令和2)年美術館として新たに生まれ変わった
美しく改修されたドーム型アーチ状のエントランス
次は旧弘前偕行社へ向かったんですが
その向かいにある「太宰治まなびの家」にも立ち寄りました
高校生の頃に太宰治が住んでいた家
通り土間が建物内を縦断している面白い建築様式
扉を開けるといきなりこれですよ。太宰、キャラ強すぎ
建物が中央の通路で分割してあるような構造
2階に上がると
太宰が当時過ごしていた部屋。ここで初めて自殺を試みたとのこと。私は特にファンではないので「あー、そうですか」としか思いませんが
道を挟んで旧弘前偕行社へ
明治40年(1907)に、陸軍第八師団の将校たちの親睦や共済、そして学術研究の場などとして建設された「旧弘前偕行社」
車寄せとポーチを配した正面玄関
随所に散りばめられた華やかな細部意匠に目を奪われる
陸軍第八師団にちなんだ「蜂」のレリーフ
建物の中心部の広間。将校たちの社交場や催事場として活用された会場で高さ5メートルほどの開放感のある空間
波打つガラスが時代を感じさせる
天井の漆喰レリーフ
外国製タイル(イギリス・ミントン製など)が張られた暖炉
洗練されたデザインが美しい
300mほど西側にある弘前銘醸煉瓦倉庫は、大正7年(1918年)に酒蔵として建築された赤レンガの倉庫群
「すずのや」の向かいの味のある看板建築

1本東側の通りには元遊郭建築の旅館があります
外からだとあんまりわからないですねそして地方によくあるスナック通り。それなりに栄えていた街だったことが感じられます
黒石から南西に進み
浅瀬石川を渡り田舎館村へ入る
国道102号沿いの道の駅に入ると
展望台があります
展望台に上ると田んぼアートを見ることができます。訪れた時は青森が誇るローカルアイドル「りんご娘」が描かれていました。タレントとして活躍している王林さんの出身グループですね
視線を移すと津軽を代表する文豪・太宰治がお馴染みの憂鬱な表情を見せています。こちらは石アートだそうです
田んぼが広がる向こう側に青森を取り囲む山々の姿
弘前鉄道の踏切をわたり西へ向かう
田んぼを舞う白鷺をこの日は数多く目にしました
田舎館村役場へ。役場に天守閣が乗っかってる
「ようこそ田んぼアートの村 田舎館へ」。田舎館村は、異なる色の稲を使って巨大で緻密な絵を描く、日本における田んぼアートの発祥地(元祖)らしいですよ展望フロアへ
リアリティーを求めない潔さ、嫌いじゃないです
訪問時の田んぼアートのテーマは弘前市の久渡寺に奉納されている、円山応挙の幽霊画『返魂香之図(はんごんこうのず)と、弘前市出身で『ふらいんぐうぃっち』の作者・石塚千尋さんが、その作品をモチーフに現代風に描いて久渡寺に奉納した幽霊画『令和返魂香之図』
田舎館~弘前
田舎館から弘前へ向かう
雲間に見え隠れする岩木山
平川を渡り弘前市に入る
奥羽本線をくぐり弘前市街へ明治30年に建てられた一戸時計店(建築当初は三原堂弘前支店)
街角で見かけた中土手魚菜センター。のっけ丼で有名な青森魚菜センターは知ってたけどここら辺では生鮮市場を魚菜センターと呼ぶのかな?
弘前の近代検知を見て回ります。まずは日本聖公会弘前昇天教会教会堂
大正9年(1920年)に立教大学校長を務めたジェームズ・ガーディナーの設計で建設された赤レンガ造りの教会。正面右寄りに立つ三角塔の鐘はアメリカで鋳造されたもの
眼の前に中央弘前駅があります
150mほど南へ進むと弘前れんが倉庫美術館
1907(明治40)年から1923(大正12)年の間に酒造工場として建てられたとされ、戦後は国内初の大々的なシードル製造工場だった建物
耐震補強・改修を経て2020(令和2)年美術館として新たに生まれ変わった
美しく改修されたドーム型アーチ状のエントランス
近くの和菓子屋さん「いなみや菓子店」
「い」が7つと三ツ矢マークをあわせて「いなみや」の屋号を表現している。洒落てるね次は旧弘前偕行社へ向かったんですが
その向かいにある「太宰治まなびの家」にも立ち寄りました
高校生の頃に太宰治が住んでいた家
通り土間が建物内を縦断している面白い建築様式
扉を開けるといきなりこれですよ。太宰、キャラ強すぎ
建物が中央の通路で分割してあるような構造
2階に上がると
太宰が当時過ごしていた部屋。ここで初めて自殺を試みたとのこと。私は特にファンではないので「あー、そうですか」としか思いませんが
道を挟んで旧弘前偕行社へ
明治40年(1907)に、陸軍第八師団の将校たちの親睦や共済、そして学術研究の場などとして建設された「旧弘前偕行社」
車寄せとポーチを配した正面玄関
随所に散りばめられた華やかな細部意匠に目を奪われる
陸軍第八師団にちなんだ「蜂」のレリーフ
建物の中心部の広間。将校たちの社交場や催事場として活用された会場で高さ5メートルほどの開放感のある空間
波打つガラスが時代を感じさせる
天井の漆喰レリーフ
外国製タイル(イギリス・ミントン製など)が張られた暖炉
洗練されたデザインが美しい
300mほど西側にある弘前銘醸煉瓦倉庫は、大正7年(1918年)に酒蔵として建築された赤レンガの倉庫群
その隣に旧制弘前高等学校外国人教師館を改装した弘大カフェ 成田専蔵珈琲店
大正14年に旧制弘前高等学校外国人教師館として弘前市富田に建築され、平成16年4月に現在の弘前大学敷地内に移築復元されました
路地を北へ進むと江戸時代から地域で大切に使われてきた歴史ある湧水「御膳水」と
富田の清水(とみたのしつこ)。昭和60年に環境庁(現・環境省)の名水百選に選ばれた湧水です。水槽が4つに仕切られており、上流から「飲用」「米磨ぎ」「食器洗い」「洗濯」と使い方のルールが現在も伝わっています
ボトルにいただきました!
弘前鉄道の踏切と
土淵川を越えて
最勝院へ
津軽には自分の生まれ年の干支を守り神とする風習「一代様」があり、弘前の最勝院は卯歳一代様
最勝院から西へ500mほどの場所に上野の東京文化会館の設計などで知られる戦後日本のモダニズム建築の騎手・前川國男が日本で初めて手掛けた記念すべき建築家デビュー作の外観を見に行って
弘前城方面へ進み追手門広場の旧弘前市立図書館へ
弘前城方面へ進み追手門広場の旧弘前市立図書館へ
明治39年日露戦勝記念として建てられたもので、昭和6年までは市立図書館として利用されていました
その隣は旧東奥義塾外人教師館
東奥義塾は、藩校であった稽古館を母体に、明治5年に創立された私学で、この建物は東奥義塾で招いた外人教師専用の住居として、明治33年に建てられました
追手門広場には明治から大正期に弘前市内に実存した建造物が、10分の1の模型で展示されています
目の前に実物がある旧弘前市立図書館
旧弘前楷行社
弘前昇天教会聖堂
日本基督教団弘前教会堂
青森銀行記念館(旧第五十九銀行)
全部で14棟を再現してありますが上記以外は現存しません。残念

昭和33年(1958年)に建てられた、日本のモダニズム建築を代表する重要建築。構造体である柱や梁をあえて外側に露出させ、コンクリートの力強さを表現しています
: 構造体である柱や梁をあえて外側に露出させ、コンクリートの力強さを表現しています。外壁にはレンガブロック(現在は打ち込みタイル)が使われています
その隣には大正6年(1917年)に建てられた旧第八師団長官舎
現在はスタバの店舗として活用されています
三の丸追手門を通って弘前城へ
雨が降っていましたが城の出入り口で傘の貸し出しをしていて重宝しました
二の丸南門
三重に張り巡らされた堀を何度も渡る
弘前城は2025年まで大規模な石垣補修工事が行われていました
弘前城の天守には数年入れない予定です
石垣補修に際して天守を曳家で移動
2026年に元の場所に戻します(曳戻し)
追手門広場から岩木山が見えます
広場の目の前に見える赤い建物は前川國男が設計を手掛けた弘前市役所昭和33年(1958年)に建てられた、日本のモダニズム建築を代表する重要建築。構造体である柱や梁をあえて外側に露出させ、コンクリートの力強さを表現しています
: 構造体である柱や梁をあえて外側に露出させ、コンクリートの力強さを表現しています。外壁にはレンガブロック(現在は打ち込みタイル)が使われています
その隣には大正6年(1917年)に建てられた旧第八師団長官舎
現在はスタバの店舗として活用されています
藤田記念庭園にある洋館は大正10年(1921)に実業家藤田謙一の別邸として建てられたもの。こちらもカフェとして活用されています
同敷地内にはレンガ造りのクラフト&和カフェ匠館もあります三の丸追手門を通って弘前城へ
雨が降っていましたが城の出入り口で傘の貸し出しをしていて重宝しました
堀を一つ越えて敷地内に入るとさらに螺旋状に掘りが残っています
敷地は東西約600m、南北約1000m、面積約50haあり、かなり広い二の丸南門
三重に張り巡らされた堀を何度も渡る
弘前城は2025年まで大規模な石垣補修工事が行われていました
弘前城の天守には数年入れない予定です
石垣補修に際して天守を曳家で移動
2026年に元の場所に戻します(曳戻し)
場内にも岩木山のビュースポットが点在しています
弘前のキャラ・たか丸くん。弘前城の別名が鷹岡城、津軽藩初代藩主・津軽為信の兜の錫杖がデザインモチーフになっている
その隣も前川國男建築の弘前市民会館
こちらの逐年は10年ほど遡り東京文化会館などに近い
ル・コルビュジエの影響を強く感じさせる建築
モダンな空間が広がります
ステンドグラスは佐野ぬいによる。2014年の市民会館会館50周年で設置されたもの。すごくマッチしてます
ロビーのソファーもお洒落
追手門を出て300mほど東へ進むと青森銀行記念館(旧第五十九銀行)
1904年(明治37年)竣工。明治期の代表的な和洋折衷ルネサンス風木造建築で、国の重要文化財に指定されています
これは威風堂々として立派な建物ですね
70mほど東側の旧弘前無尽社屋(三上ビル)。昭和2年建築。歯飾状装飾などアールデコの要素を取り入れている
北へ200mほど行った場所に建つ日本基督教団 弘前教会。1906年(明治39)竣工
弘前文化センターの前に立つ藩祖津軽為信公像
兜前面の錫杖に注目!
弘前城北東角の向かいにある「弘前ねぷた村」に寄りました
弘前ねぷた(ねぶたではなくねぷた)が多数展示してあり
弦楽器でありながら半ばパーカッション、津軽三味線の迫力ある演奏も聴くことができました
ねぷた村から見た岩木山
リンゴが乗っかったポストも有りました
弘前のキャラ・たか丸くん。弘前城の別名が鷹岡城、津軽藩初代藩主・津軽為信の兜の錫杖がデザインモチーフになっている
二の丸の南側にある弘前市立博物館も前川國男建築
築年の近い東京都美術館とデザインの共通点が多いその隣も前川國男建築の弘前市民会館
こちらの逐年は10年ほど遡り東京文化会館などに近い
ル・コルビュジエの影響を強く感じさせる建築
モダンな空間が広がります
ステンドグラスは佐野ぬいによる。2014年の市民会館会館50周年で設置されたもの。すごくマッチしてます
ロビーのソファーもお洒落
追手門を出て300mほど東へ進むと青森銀行記念館(旧第五十九銀行)
1904年(明治37年)竣工。明治期の代表的な和洋折衷ルネサンス風木造建築で、国の重要文化財に指定されています
これは威風堂々として立派な建物ですね
70mほど東側の旧弘前無尽社屋(三上ビル)。昭和2年建築。歯飾状装飾などアールデコの要素を取り入れている
北へ200mほど行った場所に建つ日本基督教団 弘前教会。1906年(明治39)竣工
弘前文化センターの前に立つ藩祖津軽為信公像
兜前面の錫杖に注目!
弘前城北東角の向かいにある「弘前ねぷた村」に寄りました
弘前ねぷた(ねぶたではなくねぷた)が多数展示してあり
弦楽器でありながら半ばパーカッション、津軽三味線の迫力ある演奏も聴くことができました
ねぷた村から見た岩木山
弘前駅へ
駅前にリンゴをあしらった「HIROSAKI」サインリンゴが乗っかったポストも有りました
サイクル・スポーツ用品



















































































































































