コース概要
相模湖から甲州街道の旧道・古道を通って笹子峠を越え甲府まで。上野原から鳥沢の間は特に現在の甲州街道とルートが異なり鶴川宿・ 野田尻宿・犬目宿跡は国道20号から大きく外れた場所にあります。未舗装・階段あり
距離:87.6km
獲得標高:1,759m
相模湖~猿橋
相模湖駅からスタート
500mほど甲府川へ走ると与瀬宿の本陣跡があります
建物は残っていませんが「明治天皇興瀬(与瀬)御小休所址」の碑が建っています。本陣周辺に宿場町の面影は残っていません
与瀬宿本陣跡から北側へ進むと與瀬神社の鳥居に出ます
参道が中央自動車道の上を跨いで伸びています
高速を越えてすぐの場所に慈眼寺
おそらく明治以前の神仏習合時は與瀬神社と一体だったと思われる
神社はそのさらに奥
階段を上った先の随神門の
さらに登った先に本殿があります
緑の中の静かな社
陣馬山へのハイキングコースの入口になっています
中央自動車道に架かる歩道から富士山の頭がほんの少し見えます
與瀬神社の鳥居の前の道を進むと
中央自動車道高架の下で国道20号へ階段で下ります。
旧道は国道20号からすぐに階段を上った先に続いているようです。
ラーメン屋跡の脇道を入って進んでみると
眼下に沢を渡る木橋が見えましたが自転車を担いで上り下りするのがきつそうなのでやめときました
ラーメン屋跡の先の道を右手に上り
少し戻ってさっき見た沢を渡る旧道の続きを確認する
「与瀬の一里塚跡」の表示がありましたが一里塚は残っていませんでした
国道20号より高い位置を進む
秋葉神社と地蔵・二十三夜塔など
二十三夜塔と傾いた祠
甲州古道の道標が所々に設置されています
「橋沢」の道標の少し先を左に入り
中央自動車道の上を越えて下っていくと
古道らしい雰囲気に
甲州古道「赤坂」の道標
相模湖インター入口の上を通り
国道20号に合流する手前に吉野宿の高札場の道標と
六地蔵が並んでいます
国道20号に出る
左手に明治30年頃に建てられた元旅籠「吉野宿ふじや」
道の向かい側が吉野宿本陣跡。「聖蹟」は「聖蹟桜ヶ丘」と同じく明治天皇が立ち寄った場所を表している
木造五階建ての本陣の江戸時代末期の写真が記されている。かなり立派な姿
吉野橋のたもとに
二十三夜塔と
「小猿橋」説明看板。
江戸~大正時代に大月の猿橋と同工法・同形状の橋が架かっていたとのこと
ちょっと右手の旧道に入り
すぐまた国道20号に戻る
「藤野駅前」を過ぎてすぐに
左手の細い階段を下る
なかなか細い!
住宅の並んだゾーンを抜けると
未舗装の古道になります
イノシシも出るらしい
中央線の線路のすぐ脇を進む
国道20号に戻りすぐまた右に入る
「御留坂」の道標
また国道20号へ
「名倉入口」を左へ下る
相模川の境川橋に出る
折り返して上野原市へ上っていく
上り坂の急斜面の終わりあたりにある「諏訪関跡」。番所が置かれ荷物や人の出入りを取り締まっていた場所
この先は勾配が緩やかになり、じんわり上っていきます
中央自動車道の上を交差
右側の疱瘡神社の裏手に
小さな土の凸形状・塚場一里塚跡。古墳の一部とも言われています
そのすぐ先に「塚場碑林公園」の看板があるので従って進むと小さな公園に出ました
二十三夜塔や
大六天碑
庚申塔と榛名山碑
ここも古墳跡に榛名山が祀られていた塚で、児童遊園地として整備したときに碑が集められ「塚場碑林公園」として整備されたとのこと
平成29年に発掘された縄文時代の石棒も展示されています
上野原の町に入ります
街並みの連なりからかつてはかなり栄えた宿場町であったことが伺えます
上野原市内には数件の酒饅頭屋があり、中でもこの「永井の酒饅頭」が一番の老舗
甲府・大月方面とあきる野・小菅方面へ分かれるY字路の
更に左が旧街道
道はだんだん細くなり
歩道橋で国道20号を交差して、この先旧甲州街道は現在の甲州街道とは全く異なるルートを辿ります
県道30号を下っていき
鶴川を渡った先が
旧鶴川宿
川の近くの小ぢんまりした宿場町。本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠8軒あったそうです。
上り勾配がゆるくなった場所に大椚一里塚跡
実際の一里塚は石碑より中央高速道路寄りの位置だったようです
少し続く平坦な土地に大椚の集落
二十三夜塔
大椚宿発祥の地と書かれた道標
杉の大木が目立つ吾妻神社
境内に椚(くぬぎ)があったところから「大椚」の村名となった
中央自動車道沿いを進むと左手に「長峰砦跡」の碑
戦国時代の砦(山城)で、武田信玄の時代に上野原加藤丹後守が築いたとも言われていますが、明確なことは分かっていません
また中央自動車道と交差して
切り通しを抜けると
野田尻宿に入ります
ここも古い町並みが残っています
「明治天皇御小休所址」
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠は大2軒、中3軒、小4軒からなる小規模な宿場町であったそうです
宿の西端の西光寺
中央自動車道を越えると
未舗装路が少しあり
県道30号に出ます
「荻野一里塚跡」の看板を過ぎ
荻野の集落を抜け
中央自動車道沿いに出ると
談合坂SA (上り)が目の前にあるので寄っていきます
「名倉入口」を左へ下る
相模川の境川橋に出る
折り返して上野原市へ上っていく
上り坂の急斜面の終わりあたりにある「諏訪関跡」。番所が置かれ荷物や人の出入りを取り締まっていた場所
この先は勾配が緩やかになり、じんわり上っていきます
中央自動車道の上を交差
右側の疱瘡神社の裏手に
小さな土の凸形状・塚場一里塚跡。古墳の一部とも言われています
そのすぐ先に「塚場碑林公園」の看板があるので従って進むと小さな公園に出ました
二十三夜塔や
大六天碑
庚申塔と榛名山碑
ここも古墳跡に榛名山が祀られていた塚で、児童遊園地として整備したときに碑が集められ「塚場碑林公園」として整備されたとのこと
平成29年に発掘された縄文時代の石棒も展示されています
上野原の町に入ります
街並みの連なりからかつてはかなり栄えた宿場町であったことが伺えます
上野原市内には数件の酒饅頭屋があり、中でもこの「永井の酒饅頭」が一番の老舗
甲府・大月方面とあきる野・小菅方面へ分かれるY字路の
更に左が旧街道
道はだんだん細くなり
歩道橋で国道20号を交差して、この先旧甲州街道は現在の甲州街道とは全く異なるルートを辿ります
県道30号を下っていき
鶴川を渡った先が
旧鶴川宿
川の近くの小ぢんまりした宿場町。本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠8軒あったそうです。
国道から離れているので開発とは無縁の静かな環境です
鶴川宿を過ぎると少し上る
中央自動車道と交差上り勾配がゆるくなった場所に大椚一里塚跡
実際の一里塚は石碑より中央高速道路寄りの位置だったようです
少し続く平坦な土地に大椚の集落
二十三夜塔
大椚宿発祥の地と書かれた道標
杉の大木が目立つ吾妻神社
境内に椚(くぬぎ)があったところから「大椚」の村名となった
中央自動車道沿いを進むと左手に「長峰砦跡」の碑
戦国時代の砦(山城)で、武田信玄の時代に上野原加藤丹後守が築いたとも言われていますが、明確なことは分かっていません
また中央自動車道と交差して
切り通しを抜けると
野田尻宿に入ります
ここも古い町並みが残っています
「明治天皇御小休所址」
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠は大2軒、中3軒、小4軒からなる小規模な宿場町であったそうです
宿の西端の西光寺
中央自動車道を越えると
未舗装路が少しあり
県道30号に出ます
「荻野一里塚跡」の看板を過ぎ
荻野の集落を抜け
中央自動車道沿いに出ると
談合坂SA (上り)が目の前にあるので寄っていきます
SA内に展望台が有り
富士山はほとんど見えませんが周りの山々を見渡すことができます
SAは山梨の代表的なお土産などが揃っています
そしてなんでも富士山型にしまう文化
カレーパンにメンチカツを挟んだ頭の悪そうな食べ物をいただきました。美味しかったです
中央自動車道の北側へ進み
矢坪坂の古戦場の前を過ぎる
視界が開けた場所に大野展望台があります
富士山ビューはそこそこといったところ
クランク状にカーブを抜けると
「犬目宿」
江戸時代には本陣2、旅籠15(大3、中3、小7)を数えた
江戸時代に兵助という一揆指導者がいたそうです
野田尻宿と犬目宿はつげ義春の随筆「猫町紀行」に登場する
犬目宿の西端の宝勝寺。境内から富士山の眺めが良く、葛飾北斎の「富嶽三十六景」、歌川広重の「不二三十六景」などの富士はこの辺りから描かれたと言われているそうです。
また犬目宿の犬、鳥沢宿の鳥(雉)、猿橋の猿などを桃太郎と関連付けて甲州道中桃太郎伝説というのを展開中。大月~上野原周辺で盛り上げようとしていてここも御朱印ポイント
少し進むと右側に「白馬不動尊」の鳥居が有り
不動尊の石像があります。
もう少し上った先の
ピークに恋塚一里塚
ここは塚の形状がよく残っています
その先を少し下った集落の中の旧道を進むと
石畳が残っています
石畳を出て大月市境の手前が富士山の見晴らしが良い旧街道一のビュースポット!
下っていきます
民家が見えてくると
釣り人の人形やら
トトロっぽいなにかやらが沿道に設置されてます
集落を抜け
中央自動車道をくぐり
国道20号に出ます
旧甲州街道が現在の甲州街道に合流するあたりが下鳥沢宿
少し進んだ鳥沢駅付近が上鳥沢宿地区
宿場町っぽい建物が多く残っています
上鳥沢宿に「明治天皇駐驛地碑」が建っています
旧街道が右に少し入り
すぐに戻る
猿橋の手前に沿道の名物的な友鮎屋。随分前からこうだけど円谷プロから怒られないのかな?
小菅側に右折して
すぐに猿橋に着きます。「中央自動車道猿橋バス停を先頭に渋滞〇〇km」な道路交通情報でよく耳にする地名
猿橋は「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」と並ぶ日本三奇橋のひとつ
橋脚を使わずに岸から張り出した四層のはねぎによって支えられている独特の構造
国道20号に戻り進む
揚水発電の水管の近くを通過そしてなんでも富士山型にしまう文化
カレーパンにメンチカツを挟んだ頭の悪そうな食べ物をいただきました。美味しかったです
中央自動車道の北側へ進み
矢坪坂の古戦場の前を過ぎる
視界が開けた場所に大野展望台があります
富士山ビューはそこそこといったところ
クランク状にカーブを抜けると
「犬目宿」
江戸時代には本陣2、旅籠15(大3、中3、小7)を数えた
江戸時代に兵助という一揆指導者がいたそうです
野田尻宿と犬目宿はつげ義春の随筆「猫町紀行」に登場する
犬目宿の西端の宝勝寺。境内から富士山の眺めが良く、葛飾北斎の「富嶽三十六景」、歌川広重の「不二三十六景」などの富士はこの辺りから描かれたと言われているそうです。
また犬目宿の犬、鳥沢宿の鳥(雉)、猿橋の猿などを桃太郎と関連付けて甲州道中桃太郎伝説というのを展開中。大月~上野原周辺で盛り上げようとしていてここも御朱印ポイント
少し進むと右側に「白馬不動尊」の鳥居が有り
不動尊の石像があります。
もう少し上った先の
ピークに恋塚一里塚
ここは塚の形状がよく残っています
その先を少し下った集落の中の旧道を進むと
石畳が残っています
石畳を出て大月市境の手前が富士山の見晴らしが良い旧街道一のビュースポット!
下っていきます
民家が見えてくると
釣り人の人形やら
トトロっぽいなにかやらが沿道に設置されてます
集落を抜け
中央自動車道をくぐり
国道20号に出ます
旧甲州街道が現在の甲州街道に合流するあたりが下鳥沢宿
少し進んだ鳥沢駅付近が上鳥沢宿地区
宿場町っぽい建物が多く残っています
上鳥沢宿に「明治天皇駐驛地碑」が建っています
旧街道が右に少し入り
すぐに戻る
猿橋の手前に沿道の名物的な友鮎屋。随分前からこうだけど円谷プロから怒られないのかな?
小菅側に右折して
すぐに猿橋に着きます。「中央自動車道猿橋バス停を先頭に渋滞〇〇km」な道路交通情報でよく耳にする地名
猿橋は「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」と並ぶ日本三奇橋のひとつ
橋脚を使わずに岸から張り出した四層のはねぎによって支えられている独特の構造
秋は紅葉の名所です
笹子峠~甲府
猿橋の隣の新猿橋を渡る
猿が橋を作っているデザインの欄干国道20号に戻り進む
JRを越える跨線橋の手前を右に入る
踏切を渡り
国道20号際に出る
道の向かいに石仏群
旧道を進む
右手に厄王大権現という社が有り
「桃太郎の桃」なる石の桃があります。説明看板を読んでも「?」
いったん国道20号に出て
またすぐ旧道へ
寝過ごして中央線を大月まで来てしまい終電を逃して帰れなくなったサラリーマンの命綱・東横イン大月を横目に見つつ
大月駅前を通過
桂川を渡り
国道20号に合流
600mほど先に
下花咲宿本陣と明治天皇花咲御小休所の碑があります
大月JCTの先で
笹子川左岸へ
GoogleMapに表示は無いけどこっちのほうが旧道っぽいかなと思い通ってみました
寺とか集落があるしこっちが旧道じゃないかな~
国道20号に復帰して
源氏橋を左折 笹子川右岸へ
採石場の手前を右折
こちらはGoogleMapに旧甲州街道の表記有り
採石場の逆側の入口に出ます旧宿場町が線路で分断されたのかな?
「下初狩宿」の道標
国道20号に戻る
笹子川支流の宮川を渡り
次の集落に入る中初狩宿本陣跡に明治天皇御小休所の碑
笹子川と交差しながらじんわりと上り基調になっていきます
ちょいちょい右手に旧道が現れる
伝説「立石坂の立石」の看板
線路際のこの石が立石らしい
大月桃太郎伝説が自販機にも!さっき見た立石も鬼と結びついた伝承があるようです
国道20号に戻って
笹子川の右岸に渡った先に
地元の酒蔵「笹一酒造」があります
「酒遊館」では買い物に加え
酒粕を使用したソフトクリームなどを食べることができます
すぐ先の「笹子餅 みどりや」で笹子餅を購入
「矢立の杉」の看板が出てきたら
その先を左に入る
ここから本格的な峠道の始まりです
と言っても平均勾配6%くらいなのでそれほどキツくはありません
笹子隧道まで5.6kmほど
峠の手前に「矢立の杉」と展望ベンチがあります
戦国時代、合戦に赴く武士がこの杉に矢を射立て戦勝を祈願したと伝えられる、樹齢1000年とも言われる杉の巨木
葛飾北斎や二代目歌川広重などの絵にも描かれており、古くから有名な木と知られています
中は空洞になっていますが枝に緑の葉が生い茂り生命力にあふれています
杉良太郎氏が寄贈した「身代わり両面地蔵菩薩」や「矢立ての杉」の歌碑、ゼンマイ式音声ガイドもあります。「杉」だけに
ここで先程購入した笹子餅をいただきました!
5個入りと10個入りが売られています。一つの大きさがそれほど大きくないので一人で5個いけますよ!ウマ~
ここからもう少し上って笹子隧道へ
トンネル両脇に柱を模した装飾がエレガント!昭和13年竣工、登録有形文化財
煉瓦っぽく塗られていますがコンクリ製です
トンネルを抜け
甲州市側の意匠はそっけない
勝沼方面へ下っていきます
笹子峠越え後、最初の宿場・駒飼宿
ここにも明治天皇の足跡
養蚕農家と思われる古い民家が残っています
「武田勝頼公腰掛石」の看板を見かけたので寄ってみたが
けっこう小さかった
国道20号に出ます
鶴瀬宿跡
徐々に斜面にぶどう畑が増えていきます
「大日影トンネル遊歩道・勝沼トンネルワインカーブ」に寄っていきます
「深沢入口」信号を右折すると
「近藤勇 柏尾古戦場」の看板。近藤勇率いる甲陽鎮撫隊が板垣退助などが指揮する官軍と激突した場所です。動物侵入防止柵に囲まれたぶどう畑の間を進む
明治36年から平成9年まで中央本線下り線として使用されていたトンネル「大日影トンネル」
勝沼ぶどう郷駅までの区間は遊歩道として利用されていましたが老朽化のためいったん閉鎖
整備して23年度内の再オープンを予定しています
勝沼ぶどう郷駅から歩けるようになるはず
その向かい側のトンネルはワインカーヴとして使用されていて
中を見学できます。レンガ造りのトンネルの中にズラ~ッとワインを収納したケージが並ぶ
国道20号に戻って下ります
右側に国宝と重要文化財を有する大善寺があります
旧甲州街道は塩山・山梨方面へ進む
道沿いにぶどう園が目立ってきます
勝沼市街に入る
蔵などの日本建築とともに
明治以降ブドウとワインで栄えたことを感じさせる西洋建築や
煉瓦塀などが見られる
甲州市から山梨市へ入る
日川を渡り
すぐを右折
笛吹川を渡る
橋を渡り
一旦右に出て
国道411号の1本北を走る旧甲州街道に入る
ここは古い街道の名残を感じさせる松並木が少し残っています
まあしかしこの先は旧街道の面影はほぼ残っていません
国道411号に出て
甲府市に入る
右折して甲斐善光寺に寄っていきます
中央本線をくぐり北へ進む
善光寺と言えば信濃ですが、甲斐善光寺は川中島の合戦の折に武田信玄が善光寺の焼失を恐れ、御本尊を奉遷したことにより創建された寺院
武田氏滅亡後、紆余曲折合って御本尊は信濃の善光寺に戻されました
甲府では新たに、前立仏を御本尊と定め、現在に至る
山門・金堂は重要文化財に指定されています
鳴竜と昔の暗闇アトラクション・お戒壇めぐりが体験できます。幾重にも反響が重なる鳴竜の鳴きっぷりが見事でした
北側に進み山の手通りを左折
一段高い場所を進み
トンネルを抜ける
武田信玄の本拠地だった武田神社(躑躅ヶ崎館)はさらに北側にあります
甲府市内には温泉銭湯が点在しているので帰る前に一っ風呂。喜久の湯は太宰治も足しげく通った温泉
風呂上がりにフルーツ牛乳をプハ~ッ!!
甲府駅へ
丸政そば甲府北口店で山賊ハーフと玉子天をトッピング
甲州市から山梨市へ入る
日川を渡り
すぐを右折
笛吹川を渡る
橋を渡り
一旦右に出て
国道411号の1本北を走る旧甲州街道に入る
ここは古い街道の名残を感じさせる松並木が少し残っています
まあしかしこの先は旧街道の面影はほぼ残っていません
国道411号に出て
甲府市に入る
右折して甲斐善光寺に寄っていきます
中央本線をくぐり北へ進む
善光寺と言えば信濃ですが、甲斐善光寺は川中島の合戦の折に武田信玄が善光寺の焼失を恐れ、御本尊を奉遷したことにより創建された寺院
武田氏滅亡後、紆余曲折合って御本尊は信濃の善光寺に戻されました
甲府では新たに、前立仏を御本尊と定め、現在に至る
山門・金堂は重要文化財に指定されています
鳴竜と昔の暗闇アトラクション・お戒壇めぐりが体験できます。幾重にも反響が重なる鳴竜の鳴きっぷりが見事でした
北側に進み山の手通りを左折
一段高い場所を進み
トンネルを抜ける
武田信玄の本拠地だった武田神社(躑躅ヶ崎館)はさらに北側にあります
甲府市内には温泉銭湯が点在しているので帰る前に一っ風呂。喜久の湯は太宰治も足しげく通った温泉
風呂上がりにフルーツ牛乳をプハ~ッ!!
甲府駅へ
丸政そば甲府北口店で山賊ハーフと玉子天をトッピング
サイクル・スポーツ用品