コース概要
掛川城から東海道の小夜の中山(中山峠)を越えて牧之原台地の茶畑を通り蓬莱橋で大井川を渡る。大井川港から海沿いを進み、大崩海岸の旧石部隧道に立ち寄り安倍川を渡って静岡へ
距離:65.7km
獲得標高:862m
掛川~牧之原~蓬莱橋
掛川駅からスタート
駅から北に進むと
掛川城が見えてきます
掛川城の手前に流れる逆川の両岸には早咲きの「掛川桜」が植えられています
寒緋桜系の桜で3月中旬ごろに見頃になります
橋を渡り掛川城へ戦国時代には、山内一豊が城主として10年間在城しました
ゆるキャン△は掛川市も舞台になったので(掛川城は登場しなかったけど)パネルが設置されていました
現在の掛川城は、平成6年(1994年)に、「本格木造天守閣」として復元されたもの。
後に山内氏が在城した現存する高知城と残っている文献の記録をもとに復元したそうです。階段はかなり急
天守閣から富士山が見えることもあるそうです
二の丸御殿は江戸時代からの現存建築。国の重要文化財に指定されています
屋内を自由に見学できます
武具や鎧などが展示されています
杉良太郎氏が寄贈したコレクションもありました
二の丸美術館と茶室
二の丸の脇を奥へ進むと二宮尊徳の像に出くわします
二宮尊徳の教えを広めるための全国組織・大日本報徳社の本部が掛川にあり、掛川城の隣に建物が複数建っています。下の写真は明治17年、現在の東京都千代田区に、有栖川宮熾仁親王邸の一部として建設された建物
門の奥、正面に建つのは1903年に報徳運動の拠点として建築された木造2階建ての和風講堂。日本最古の公会堂のひとつとして国の重要文化財に指定されています
淡山翁記念報徳図書館は昭和2年に建てられた鉄筋コンクリート造りの図書館アールデコっぽい要素もありつつ抑え目な装飾
逆川沿いを東に進む。両岸に約2キロメートルに渡り約300本の掛川桜が植えられています
総菜パンやアンパン、カレーパンなど昔ながらの各種パンが売られています
日坂宿は江戸時代には本陣1軒、旅籠屋33軒が有ったそうです
昔ながらの宿場町の雰囲気が残っている場所は限られていて
国道1号の高架と交差すると
旧東海道の上り坂
安藤広重の東海道五十三次に描かれた日坂が看板に表示されています
20%を超える箇所もある急坂
「二の曲り」と呼ばれた急カーブ
距離は短いがかなりしんどい
お茶畑が見えてくれば勾配は緩みます
お茶畑を見下ろすベンチから
向こう側の山の「茶」文字が見えます
アンテナ塔が建つあたりがピーク
「年たけてまた越ゆべしと思いきや 命なりけり小夜の中山」西行法師の句碑
峠道に茶屋が一軒
近くにある「夜泣き石」の伝説にちなんで生まれた「子育飴」を食べることができます
瓶に入った水飴を割りばしに巻き付けて渡してくれます
茶屋の建物の大部分は築300年以上の部材だそうです
現在は週末・祝日のみ開けているそうです
隣の久遠寺に夜泣き石が祀られています(夜泣き石は他にも有り)
この先は下り
下りも結構急です
下った先は間の宿・菊川
集落の間を進み
菊川を渡ると再び上り坂
菊川坂には江戸時代後期の石畳が現存しています
県道234号(吉沢金谷線)と交差。ここら辺がピーク
ピークのすぐそばに諏訪原城跡があります
遠江と駿河の境に位置する東海道における戦略上の要地。武田と徳川の戦の舞台となった城です
金谷宿に下っていく東海道の石畳。一部しか残っていなかったところを平成に430m復元したそうです
東海道~県道415号を進みます
「事任八幡宮前」で左に入り再び東海道へ
小さな宿場町・日坂宿
「岡パン」というパン屋さんが営業しています
総菜パンやアンパン、カレーパンなど昔ながらの各種パンが売られています
日坂宿は江戸時代には本陣1軒、旅籠屋33軒が有ったそうです
昔ながらの宿場町の雰囲気が残っている場所は限られていて
昔の屋号だけが表示されている建物が多数
本陣跡地が公園になっています国道1号の高架と交差すると
旧東海道の上り坂
安藤広重の東海道五十三次に描かれた日坂が看板に表示されています
20%を超える箇所もある急坂
「二の曲り」と呼ばれた急カーブ
距離は短いがかなりしんどい
お茶畑が見えてくれば勾配は緩みます
お茶畑を見下ろすベンチから
向こう側の山の「茶」文字が見えます
アンテナ塔が建つあたりがピーク
小夜の中山公園
「小夜の中山」(中山峠)は東海道三大難所のひとつとして知られていました「年たけてまた越ゆべしと思いきや 命なりけり小夜の中山」西行法師の句碑
峠道に茶屋が一軒
近くにある「夜泣き石」の伝説にちなんで生まれた「子育飴」を食べることができます
瓶に入った水飴を割りばしに巻き付けて渡してくれます
茶屋の建物の大部分は築300年以上の部材だそうです
現在は週末・祝日のみ開けているそうです
隣の久遠寺に夜泣き石が祀られています(夜泣き石は他にも有り)
この先は下り
下りも結構急です
下った先は間の宿・菊川
集落の間を進み
菊川を渡ると再び上り坂
菊川坂には江戸時代後期の石畳が現存しています
県道234号(吉沢金谷線)と交差。ここら辺がピーク
ピークのすぐそばに諏訪原城跡があります
遠江と駿河の境に位置する東海道における戦略上の要地。武田と徳川の戦の舞台となった城です
金谷宿に下っていく東海道の石畳。一部しか残っていなかったところを平成に430m復元したそうです
牧之原台地上に視界いっぱいに広がるお茶畑の間を進みます ふじのくに茶の都ミュージアム
博物館、茶室、庭園、商業館から成る複合施設
「牧之原大茶園」の碑。牧之原台地は現在では静岡の茶の生産量の40%を占める日本一の大茶園です
下って行って
蓬莱橋入口の看板を左折
台地上から大井川岸へ下ります
大井川にかかる蓬莱橋(ほうらいばし)は、全長897.4メートル、通行幅2.4メートルの世界一長い木造歩道橋
蓬莱橋は牧之原台地の開墾のため、明治12(1879)年に架けられた農業用の橋
渡橋料金100円。自転車も通れます
大井川左岸へ
大井川港~大崩海岸(旧石部隧道)~静岡
大井川の河川敷を河口方面へ下っていきます
河川敷に遊歩道が整備されているのでスイスイ走れます河口までの距離が路面と看板に表示されています
大井川港の手前で堤を越えて内陸へ
大井川港を回り込みます
大井川港は、由比・蒲原・大井川地区しか許可されてない桜えび漁がおこなわれている漁港です。港には漁協の直営食堂があります。
生しらすは漁があったときのみ提供。有無が表に表示されていました。日曜はしらす漁が定休により、提供はありません。
港にあるもう一軒の魚料理の店「磯料理 みなと家」
丼の上には新鮮なまぐろ・桜エビ・しらす、さらには丼の中には甘いタレをまぶした桜エビのバラ揚げが入っている「みなと家丼」
海沿いの堤上を走ります石津海岸公園
小川港を回り込む
駿河湾の海洋深層水を使用したプール・美容・健康施設の「アクアスやいづ」
焼津漁港を通り過ぎ
瀬戸川を渡る
県道416号を静岡方面へ進みます
伊豆の海岸線を思わせるカーブの上り坂になり
全長905mの浜当目トンネルを抜けるその後もシェッドや短いトンネルはありますが長いトンネルは有りません
焼津市から静岡市に入り
下っていくと
左手に駐車場があります
その向かいのガードの切れ目に「旧石部隧道坑門跡」の看板が草ムラの中にひっそり建っています。ここから先は自己責任
道は滑りやすく草ボウボウ。肌の露出がない服装が望ましい
細い道を抜けるとレンガ造りと石造りのトンネル跡が見えてきます
1889年(明治22年)に造られ、1944年まで東海道本線が走っていた煉瓦造りのトンネル
梯子がかけられていたので降りてみる
上下線で2本のトンネルが有り海側のトンネルは石造り(一部レンガ造り?)
ものすごい崩落の跡。1948年に台風によって破壊されたそうです
辺りは「大崩海岸」。地名は崩落が多いことに由来するとのことでまさに地名そのままの光景です。廃道・廃隧道好きの人にはかなりポイント高い場所だと思います
左手にこちらも崖崩れで廃道になった旧国道150号が見える
石部海上橋を渡り切ると開けた海岸に出ます
用宗駅前を通り
用宗浅間神社の奥を右に曲がり
坂を上っていくと
富士山を背景に新幹線が撮れるフォトスポット!(春の霞に隠れて富士山見えてませんが…)
安倍川を渡って
1889年(明治22年)に造られ、1944年まで東海道本線が走っていた煉瓦造りのトンネル
梯子がかけられていたので降りてみる
上下線で2本のトンネルが有り海側のトンネルは石造り(一部レンガ造り?)
ものすごい崩落の跡。1948年に台風によって破壊されたそうです
辺りは「大崩海岸」。地名は崩落が多いことに由来するとのことでまさに地名そのままの光景です。廃道・廃隧道好きの人にはかなりポイント高い場所だと思います
道に戻り富士見洞門西側洞門を抜けると
石部海上橋に出ます左手にこちらも崖崩れで廃道になった旧国道150号が見える
石部海上橋を渡り切ると開けた海岸に出ます
用宗駅前を通り
踏切を渡って
少し西側に戻って用宗浅間神社の奥を右に曲がり
坂を上っていくと
富士山を背景に新幹線が撮れるフォトスポット!(春の霞に隠れて富士山見えてませんが…)
東名高速をくぐり
丸子川と安倍川を渡って
静岡駅へ
サイクル・スポーツ用品