DIC川村記念美術館~金谷郷の切り通し~ホキ美術館

DIC川村記念美術館~ホキ美術館~千葉市美術館と千葉の三つの美術館を巡る途中に金谷郷の切り通しとクラン坂に立ち寄るサイクリングコース

コース概要
DIC川村記念美術館~ホキ美術館~千葉市美術館と千葉の三つの美術館を巡る途中に金谷郷の切り通しとクラン坂に立ち寄る
距離:62.4km
獲得標高:569m

千葉公園~DIC川村記念美術館

千葉駅周辺の旧日本軍の遺構・戦跡を巡るため稲毛駅からスタート
放医研通りを進み
千葉大北門前を左折
千葉経済大学のレンガ棟へ
「旧鉄道聯隊材料廠煉瓦建築(煉瓦棟)」は、千葉県内でも珍しい明治に創建された大規模煉瓦建築物
この建物は、明治41年に鉄道連隊材料廠として建設されたもので、大正時代には千葉陸軍兵器支廠となり、戦後は大蔵省、国鉄と引き継がれ、昭和60年に千葉経済学園の所有となり現在に至っています
列車やレールなどの修理工場として使われただけあって内部には広い空間があり、煉瓦造りの弧形アーチが10基連続して並んでいるとのことなので、公開日が有れば見てみたい
けっこう痛んでる
千葉公園へ移動
現在の千葉公園綿打池付近から千葉東高校南側付近までの一帯は、鉄道第一聯隊の演習用の作業場となっていました(ちなみに新京成線は津田沼の陸軍鉄道第二連隊と松戸の陸軍工兵学校が戦前に演習線として建設した「松戸線」の跡地。カーブが多いのは演習線としての距離を確保する必要があったのと、戦場で迅速に鉄道を敷設する鉄道連隊という性格上、橋やトンネルを避け、地形に沿って線路を敷設したから
千葉公園前には演習用のトンネルが残されています

公園内には架橋演習用橋脚が残っています。まあただのコンクリートの壁ですが…
川崎製鉄千葉製鉄所(現JFEスチール)で資材や原材料の運搬に使用されていた蒸気機関車が公園内に展示されています
小ぶりで可愛い蒸気機関車
東千葉方面へ進み
国道126号をちょっとだけ走り、四街道方向へ左折
四街道方向へ進み
北貝塚を斜め右に入る
国道51号(佐倉街道)をくぐる。(交通量が多い道で構わない方は佐倉街道を走った方が速い)
住宅街を抜け
御成街道を横切ると
林と
農家と
田畑が広がります
千葉市から四街道市に入る
左に入り
佐倉街道に出て
「坂戸」信号を八街方向へ
「DIC川村記念美術館」の看板を右折
並木道を通り
「DIC川村記念美術館」へ
池の有る広大な庭園は入場無料です
美術館は2025年3月下旬から長期休館予定。東京都内への移転並びに規模の縮小または美術館の運営自体の休止を含めて検討するとしている。
素晴らしい環境なんですけどね

金谷郷の切り通し~クラン坂

DIC総合研究所の前を通って南へ進む
グッと道幅の狭まる田んぼの中の道へ
所々に「若葉ルート」の看板。サイクリングルートを設定したようです
大まかには鹿島川沿いの田んぼの縁を進みます
GoogleMapには「佐倉古道」の表示
ドンドン堰跡の碑。水音がドンドンと聞こえたとのことですが現在堰らしいものは見当たりませんでした
左手(東側)の鹿島川の支流沿いに進む
一部土砂堆積・未舗装路あり。雨の後はドロドロになるので避けた方が良い
田んぼ沿いの道から一般道へ
県道289号(岩富山田台線)を南に進む
八街市に入ります
国道126号から県道83号に進んで
大網白里市の看板を右手に入る

縣神社の手前を右に入る
左に入ると
鬱蒼としたヘアピンカーブの下り坂
下った先の崖面に馬頭観音。古くからの道なんでしょう
一旦田んぼの中に出て
再び鬱蒼と茂った林の中に入っていくと
金谷郷の切り通し!かなり立派な切通しです
壁面に道祖神らしきものがありました

路面はそんなに悪くないけど自動車のすれ違いは不可能
でいったん途切れて
2つ目の切通し
GoogleMapでは分からなかったですが湾曲した道に二カ所の切通しが連続しています
房総と言えば素掘りトンネルのイメージですがここの切通しも迫力あって良いですよ
里に出て
少し下って
山辺小学校跡の前を右手に入る
金谷沼
外房線の高架をくぐり
緩い上りになります
進んでいくと
またまた鬱蒼とした切通しになります
路面の堆積物が凄いことになっていますが外房線の上を跨線橋で通る

進んでいくと
またまた切通し
どこまでの範囲かわからないのですがここら辺は暗み坂から転じてクラン坂とよばれているそうです
またこのクラン坂は台地上にある土気城の本丸から二の丸につながる切り通しで、空堀の役割も果たしていたそうです
進んでいくと片側は擁壁で固められていました
老人ホームがあり、そこが土気城跡
少し下った場所に説明看板が建っていました。
「土気域は、平安時代の鎮守府将軍であった、大野東人が東北地方の蝦夷に対する軍事的拠点の一つとして築いたものと伝えられている。その後、1488年(長享2年)中野城主であった酒井定隆がこの城を修復して入城し、以後、5代・約100年間に亘って酒井氏の居城として上総の地に君臨した。 城は鹿島川や村田川の水源となっている標高90mを超える台地上に、その急な地形を利用して築かれ、難攻不落の名城として知られていたが、1590年(天正18年)豊臣秀吉の房総攻めの際に破れ、廃城となった。本丸、二の丸などの域の中核となる部分は現在、日本航空研修センター(※現老人ホーム)の敷地になっており、部分的な改変は有るものの全体の保存状態は良好で戦国時代の城郭の形態を良く残している」
訓練された城郭マニアでないとお城の感じはつかめない気がしますが切通しは見ごたえがあります
下って行って
大網街道に出ます
昭和の森公園の
サイクリングコースを少し走り
右手に特徴的な建物が見えたら一般道に出ます
ホキ美術館
インパクト大の外観
主に現代の日本人画家による写実絵画を専門に収集・展示している美術館です
大きなRを描く回廊を地上1階、地下2階の三層で組み合わせてあり、デザイン有りきの奇をてらった建築ではなく絵画を鑑賞しやすい機能性の優れたギャラリー建築だと感じました
スケルトンのエレベーターもカッコ良かった

ホキ美術館~千葉市美術館

ホキ美術館から千葉駅へ向かう
とけあい通りから
大網街道に入る
外房線を越える高架は自転車進入禁止なので
迂回して踏み切をを渡る。面倒くさい
さらにもう1カ所自転車進入禁止
走りにくいぞ大網街道
鎌取駅前の交差点を右折して
支川都川沿いの遊歩道を走る
草がぼうぼうに茂って体にあたる区間もありました
千葉東JCT付近で
一般道に出て
旧東金街道に入る
道沿いの千葉大医学部旧本館の建物は戦前の1936年竣工
前面にスクラッチタイルが張られて威風堂々とした建物です
少し先を左に入ると
お城の形をした千葉市立郷土博物館(亥鼻城)
1126(大治元)年に、千葉常胤の父・常重がこの地に居館を構えた千葉発祥の地と伝わっています
都川を渡る。支川都川から都川沿いをつなげて走ることもできます
次は千葉市美術館
美術館の建物は、市内に残る数少ない戦前の建物(旧川崎銀行千葉支店)を新しい建物で包み込むように設計されています
旧銀行内はホールとして使用
300mほど北側に進むと千葉神社
千葉氏の守護神である北辰妙見尊星王(天之御中主大神)を祀る妙見信仰(北極星・北斗七星信仰)の神社
神紋は三光紋(月星)、社紋は九曜紋
境内社の千葉天神の建物は千葉神社の旧社殿で趣がある
千葉駅へ

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