熊野三山巡り

新宮駅から熊野三山・熊野本宮神社~神倉神社~熊野速玉大社~阿須賀神社・徐福之宮~補陀落山寺~熊野那智大社~那智の滝を巡るサイクリングコース

コース概要
新宮駅から熊野三山・熊野本宮神社~神倉神社~熊野速玉大社~阿須賀神社・徐福之宮~補陀落山寺~熊野那智大社~那智の滝を巡る
距離:93.7km
獲得標高:1,243m

熊野本宮大社

新宮駅からスタート
「新宮駅前」信号の東側に中華風の門が見えます
「徐福公園」
徐福の像と顔ハメもあります
そして駅前の地名が「徐福」!この謎はまた後ほど。
踏み切路を渡り中央通りに出て
西へ進み
市街地の端に二つのトンネル
自転車は右側の越路隧道へ
トンネルを抜けると熊野川の川沿いに出ます
上流にさかのぼって行きますがあまり上りの感じは無い
熊野川は反対車線側なのであまり良く見えません
道沿いに見える白見の滝
平清盛の末弟で平家物語にも登場する和歌に秀でた武将・平 忠度(たいら の ただのり)の出身地とのこと
トンネルや橋を越え進んで行ってもあまり勾配は上がりません
国道311号との分岐。左折すると白浜へ行けます
ここまでくれば住所は本宮町本宮

左手に熊野本宮大社の入口が見えてきます
この熊野本宮大社に熊野速玉大社、熊野那智大社と那智山青岸渡寺を加えた三社一寺を熊野三山と呼びます
それぞれ個別の自然崇拝に起源を持ちますが、神仏習合によって三社が互いに神々を祀り合い、一体として熊野三所権現と信仰され、熊野古道という参詣道によって結ばれている。2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されています。
熊野大権現のノボリが並ぶ158段の石段を上る
手水舎に三本足のカラス・ヤタガラス
八咫烏(ヤタガラス)は、神武天皇東征の際に熊野の地から大和への道案内をしたとされる「導きの神」
熊野三山のシンボル
ヤタガラスみくじや
ヤタガラスポストがあります
俗に「オカラスさん」とも呼ばれる熊野牛王神符(牛王宝印)は、カラス文字で書かれた熊野三山(本宮・新宮・那智各大社)特有の御神符。カラス文字の数は、各大社によって異なります(写真は那智大社のもの)
石段の脇には熊野古道の石段も残っています
神門の開門は午前7時から午後5時まで
4つの社が並んでいて参拝には順番が有ります
檜皮葺が見事な社殿は旧社地・大斎原から移転されたもの
参拝の順番は正面が一番目。本宮大社の主神・家津美御子大神(スサノオ)
その左隣が2番目、左端が3番目
それぞれ速玉大神(イザナギ)と
夫須美大神(イザナミ)
4番目が右端
天照大神(アマテラス)

入口の鳥居を出ると道を挟んだ向こう側に「産田社・大斎原」。熊野本宮は元々熊野川の中州にありましたが明治22年の大洪水により被害を受け明治24年に上四社が現在地へ移されました。大斎原は旧社地。日本一の大鳥居が建っていますが今回はパス。

神倉神社~熊野速玉大社~阿須賀神社・徐福之宮

新宮市街地へ戻ります
帰りは熊野川が近く気持ちよく走れます
越路隧道を抜け
来た道を戻り
左に入って神倉神社へ
神倉神社は熊野三山に祀られる熊野権現が初めて地上に降臨した伝承をもつ古社。天ノ磐盾(あまのいわたて)という険しい崖の上にあり、ご神体は「ゴトビキ岩」と呼ばれる巨石
山上へは熊野古道の一部である急勾配の鎌倉積み石段538段を登らなければならない
けっこう荒々しい段差の高い石段です
なかなかシンドイ
ゴトビキ岩に張り付いた形の社殿。熊野川河口が見えます
ゴトビキ岩(「琴引岩」とも。ゴトビキとはヒキガエルをあらわす新宮の方言)
巨石信仰、磐座信仰の系譜を感じさせます
ゴトビキ岩から下りて国道42号へ
和菓子の香梅堂で
熊野名物「鈴焼」を行動食としてGET!
熊野川の手前で国道42号を左折
熊野三山を構成する一社である熊野速玉大社
社伝によると景行天皇58年に神倉山ゴトビキ岩から熊野権現を現在地に遷座し「新宮」と号したと記されている「新宮」の地名の由来となった場所
熊野速玉大社の主祭神は、 速玉大神 (イザナギ)と、夫須美大神 (イザナミ)の夫婦神
鮮やかな朱色の社殿は火災によって焼失した後1967年(昭和42年)に再建されたもの
神紋はヤタガラスと梛(ナギ)の枝
境内には天然記念物に指定された樹齢1,000年のナギの巨木があり、左右対称の葉の形から夫婦円満のご利益があると言われています
新宮城跡の脇を通り熊野川河口方向へ進む
熊野川河口近くの阿須賀神社も世界遺産構成要素の一つ。平安時代後期から12世紀前半までの中世熊野参詣では、阿須賀神社に参詣することが一般的であったようで平家物語の中にも記述がある
熊野地方の古い記録に寄れば熊野権現は初め神倉山に降り、次に阿須賀の森に移ったと記されています
社殿は蓬莱山と呼ばれる小丘陵の南麓に鎮座する
境内にある徐福之宮。徐福とは約2200年前、秦の始皇帝の命により蓬莱山にあるといわれる不老不死の仙薬を求めて東方に向かって船出したと「史紀」に記されている人物。徐福に関する伝説は、中国から日本や朝鮮半島に伝わって散在し、熊野では阿須賀神社背後の蓬莱山裏手の熊野川にたどり着いたとされている。新宮駅前の地名や駅近くの「徐福公園」はその伝説に基づく

補陀落山寺~熊野那智大社

海沿いへ向かい
太平洋岸自転車道のルートに乗り那智勝浦へ
美しい海が見える
那智勝浦町に入る
那智駅・道の駅なち前を右折
すぐの場所に建つ補陀洛山寺も世界遺産構成要素の一つ
平安時代から江戸時代にかけて人々が観音浄土である補陀洛山へと小船で那智の浜から旅立った宗教儀礼「補陀洛渡海」で知られる寺
渡海舟には扉が無く、屋形に人が入ると出入り口に板が嵌め込まれ外から釘が打たれ固定される造り
補陀洛山寺から20数回にわたり住職たちが渡海し戻らなかった。(途中で屋形から脱出した金光坊は井上靖の小説の題材になった)
隣接する浜の宮王子社跡には熊野三所大神社が建つ
那智川上流の熊野那智大社へ向かう
5㎞ほどで「大門坂」の駐車場
ここに自転車を置いて熊野古道の大門坂を歩きます
杖を借りることができます
熊野那智大社へは約1.3km
森の中を進む
苔むした石段と杉木立は雰囲気抜群!
途中車道と接する場所もあります
自然の中長い歴史を見つめてきた道
厳粛な気持ちになります
参道の階段を上る
大門坂駐車場から徒歩40分くらいで熊野三山を構成する一社である熊野那智大社に到着!
他の二社とは異なり、山中の那智滝を神聖視する原始信仰に始まるため、社殿が創建されたのは他の二社よりも後
主祭神は熊野夫須美大神(イザナミ)
ここの神紋もヤタガラスと梛(ナギ)の枝

神仏習合時代は那智大社と一体化し、那智山熊野権現や那智権現と呼ばれていた青岸渡寺。本堂は 天正18年(1590年)築の重要文化財。明治になって大社と分離されるまでは如意輪堂と呼ばれていた。
三重塔の先に那智の滝が見えます
先ずは三重塔まで歩きます
三重塔と那智の滝

三重塔に登れば滝の全容が見えます

さらに滝に向かって歩いていきます
石段を下り
那智の滝の足元・飛瀧神社へ
当初は那智滝の正面にある現・飛瀧神社の地に那智大社社殿があった
滝そのものが御神体
水音がドウドウと響く
さらに拝観料を納めて滝の目の前へ
ド迫力!ご利益ありそう!!
滝下バス停から大門坂バス停までバスに乗り、自転車に乗り換え下山
那智駅へ
駅の裏の那智の浜
ここにも当然ヤタガラス

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