コース概要
熊谷から妻沼聖天山の国宝建築を見に行き、利根川を越え太田の金山城へ。曹源寺のさざえ堂を見学して多文化共生地の先駆け・大泉町でブラジル料理を食べる。映画「のぼうの城」で有名になった忍城に寄り行田まで
距離:59.4km
獲得標高:325m
妻沼聖天山~太田
熊谷駅からスタート
駅を降りると目に飛び込んでくる「ラグビータウン熊谷」の碑
肩を組んだクマが前進する「スクラム!クマガヤ」の前にラグビーボールのオブジェ
熊谷ラグビー場は、秩父宮や花園と並ぶラグビーの聖地。毎年春に全国高校選抜大会が開催され2019年のラグビーワールドカップの会場にもなった
星川が流れているので川沿いに西に進む
「星溪園」の看板
周り込んで門をくぐると
星溪寮、松風庵、積翠閣の3つの建物があり、主にお茶会に使用されています
幕末から明治初年にかけて整備された回遊式庭園
こじんまりとした庭園です
妻沼地区に入る
「聖天山前」信号の先に
聖天山 歓喜院(妻沼聖天山)の石柱門が建ち参道が延びています
国指定重要文化財の貴惣門
破風を三つ重ねた特異な形状で持国天、多聞天の像を左右に配置している。嘉永4年竣工、安政2年(1855年)頃の完成
貴惣門をくぐり進むと
駅前の騎馬像は熊谷直実の像。源平合戦の中で「一ノ谷の戦い」で扇を広げて平敦盛を呼び止め討ち取った源氏側の武将。ドラマなどで織田信長が本能寺でお約束として踊る「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」の舞「敦盛」は平敦盛を描いた曲です
駅前から150mほど北へ進むと星川が流れているので川沿いに西に進む
「星溪園」の看板
周り込んで門をくぐると
星溪寮、松風庵、積翠閣の3つの建物があり、主にお茶会に使用されています
幕末から明治初年にかけて整備された回遊式庭園
こじんまりとした庭園です
県道341号(太田熊谷線)を北に進む
熊谷はクマのキャラを使いがち妻沼地区に入る
「聖天山前」信号の先に
聖天山 歓喜院(妻沼聖天山)の石柱門が建ち参道が延びています
国指定重要文化財の貴惣門
破風を三つ重ねた特異な形状で持国天、多聞天の像を左右に配置している。嘉永4年竣工、安政2年(1855年)頃の完成
貴惣門をくぐり進むと
右手に齋藤別当実盛の像。寺伝では治承3年(1179年)に、長井庄(熊谷市妻沼)を本拠とした武将齋藤別当実盛が、守り本尊の大聖歓喜天(聖天)を祀る聖天宮を建立し、長井庄の総鎮守としたのが妻沼聖天山の始まりとされている。
その先に聖天山で一番古い約400年前の建築物である四脚門
参道から左へ向くと「聖天寿し」に列が出来てる
聖天寿しは文化庁が認定した「100年フード」!
細長い形状が特徴ですが、食べたらお稲荷さんが甘~い!!
目の前に東屋が有るので座っていただきました。
仁王門の先に
国宝!本殿「歓喜院聖天堂」!!2003年から2010年にかけて屋根葺き替えと彩色修理を中心とする修理が実施され、当初の彩色がよみがえり、2012年に国宝に指定されました
拝殿・中殿・奥殿からなる廟型式権現造
拝殿の唐破風下に大きな龍
龍の上に琴棋書画。中国の文人が好んだとされる四つの芸が描かれている
柱のコーナーには鯉が激流を登り、鯱、飛龍を経て成獣の龍となり天空を泳ぐという出世の伝説が表現されています
鯉と鯱
聖天寿しは文化庁が認定した「100年フード」!
細長い形状が特徴ですが、食べたらお稲荷さんが甘~い!!
目の前に東屋が有るので座っていただきました。
仁王門の先に
国宝!本殿「歓喜院聖天堂」!!2003年から2010年にかけて屋根葺き替えと彩色修理を中心とする修理が実施され、当初の彩色がよみがえり、2012年に国宝に指定されました
拝殿・中殿・奥殿からなる廟型式権現造
拝殿の唐破風下に大きな龍
龍の上に琴棋書画。中国の文人が好んだとされる四つの芸が描かれている
柱のコーナーには鯉が激流を登り、鯱、飛龍を経て成獣の龍となり天空を泳ぐという出世の伝説が表現されています
鯉と鯱
拝殿の屋根を支える海老虹梁



温厚破甕(うんこうはがめ)の図。友人が水瓶に落ちたのを見て、子どものころの北宋の政治家・司馬温厚が甕を割って助けた図。高価な甕よりも人の命は大切という教え
白い象のすぐ右側に一箇所色が塗られていない部分があり、これは「完成したものは早く壊れる」という迷信に基づき、未完成にしていたという職人のこだわり
太田市街地の「伊勢屋」
太田はスバルの企業城下町。工場正門向かいの和菓子屋さんでスバル最中が売られてます。スバル360の和菓子も!
行先に見える小山が金山
道沿いに「子育呑龍」の看板

半分の海老虹梁には獅子と牡丹。いわゆる唐獅子牡丹が彫られています
残りの半分は猿と枇杷
当時は、猿の好物はバナナではなく枇杷と考えられていました。枇杷に囲まれ幸せそう
本殿の奥、中殿と奥殿の観覧は有料になります。
鷲が猿をいじめているのではなく、落ちようとした猿を助けている中殿の図
逆側の中殿の図
精緻を極めた鳳凰の彫刻。カッコイイ!
寛政の改革により庶民の贅沢が禁じられ、これ以降の神社仏閣が白木の建物ばかりになったため、聖天堂は装飾建築の最後の作品・装飾建築の技術の一番頂点の作品と言われています
奥殿の大きなはめ込み彫刻 3面は全て七福神が題材になっています
「埼玉の小日光」との呼び名もありますが、実際に日光東照宮の修復を担当したこともある彫刻師が中心となって作られました
腰壁の上には猿がずらり
様々な姿の竜が描かれています

日本古来の相撲で遊んでいる姿もある

四季が表現されていて、これは雪だるまを作っている図
ブドウの木にリス。下段では猫がボタンにとまった黒いアゲハチョウを見つめています
腰壁には子供たちが遊んでいる様々な姿の彫刻が施されています。これは闘鶏をしている図
聖天堂は関東一円を勧進して民間人の寄付だけで建てられた珍しい建物。そのため威厳や格式を重んじる他の寺とは異なり、庶民のため平和で楽しい幸せを主題とする彫刻が多いのが特徴です
馬の頭が付いた棒に跨る中国の竹馬遊び
獅子舞(獅子の後ろに入っている童がアッカンベーをしているユニークな仕草)
日本古来の相撲で遊んでいる姿もある
四季が表現されていて、これは雪だるまを作っている図
三聖吸酸の図。3人の聖人(釈迦、孔子、老子)が瓶の中のお酢を舐めて酸っぱい顔をしている図。宗教・思想が異なっても真実は一つという真理を表す
象頭の踊りの図。想像上の動物、象頭(しょうじょう)が踊っている図。親孝行の逸話

温厚破甕(うんこうはがめ)の図。友人が水瓶に落ちたのを見て、子どものころの北宋の政治家・司馬温厚が甕を割って助けた図。高価な甕よりも人の命は大切という教え
聖天山から利根川を渡って
埼玉県から群馬県に入る太田市街地の「伊勢屋」
太田はスバルの企業城下町。工場正門向かいの和菓子屋さんでスバル最中が売られてます。スバル360の和菓子も!
金山城~大泉町~忍城
太田市街から金山ドライブウェイで金山城へ向かう
道沿いに「子育呑龍」の看板
上毛かるた「お」の札。「太田金山 子育て呑竜」として知られる大光院
「呑龍さま」とは、大光院を開山した呑龍上人のこと。呑龍上人は、捨て子や貧しい家庭の子どもたちを引き取って育てたと伝わっています。そのため子供の幸福や安産を祈る「子育て呑竜」と信仰されるようになりました
呑龍上人が植えたと伝わる黒松
上州太田七福神の一つにもなっており、弁財天を祭っています
だんだんと山に入って行きます
「史跡金山城跡ガイダンス施設」が道沿いにあります
建物は建築家・隈研吾氏の設計によるもの
内部には模型や城の歴史の解説展示があります
勾配はキツくありません
史跡金山城址
新田一族の血をひく岩松家純によって最初に金山城が築かれ、由良氏、北条氏と主が変わる中で拡張していった山城
堀切など特徴的な地形がみられる
物見台下虎口
物見台からの景色
馬場曲輪
大手虎口の手前にある「月ノ池」

三ノ丸の下にある「日ノ池」。「月ノ池」よりも大きい。遺跡調査により神聖な儀式を行う場所だったと考えられています。
だんだんと山に入って行きます
「史跡金山城跡ガイダンス施設」が道沿いにあります
建物は建築家・隈研吾氏の設計によるもの
内部には模型や城の歴史の解説展示があります
勾配はキツくありません
史跡金山城址
新田一族の血をひく岩松家純によって最初に金山城が築かれ、由良氏、北条氏と主が変わる中で拡張していった山城
堀切など特徴的な地形がみられる
物見台下虎口
関東の山城には珍しく石垣が多用されています
物見台物見台からの景色
馬場曲輪
大手虎口の手前にある「月ノ池」
大手口虎口

両サイドも階段状の石垣で普請され防御力高そう!
上って行くと南三ノ丸の下にある「日ノ池」。「月ノ池」よりも大きい。遺跡調査により神聖な儀式を行う場所だったと考えられています。
「日本三大さざえ堂」で最大規模!だそうです
国の重要文化財「曹源寺さざえ堂」。外観は重層の二階建に見えますが、内部は三層になっています。
堂内には秩父、坂東、西国の観音札所計百ヵ寺の観音像を安置し
右回りに堂内を一方通行・一筆書きで巡拝できることから「さざえ堂」の名があります
最上階は屋根裏が見える
90年代から日系ブラジル人が多く居住し、現在はブラジルに限らず数多くの外国人が住む多文化共生先駆けの町。ブラジル料理店や外国人向けスーパーが数多く営業している
フェイジョアーダと
インカコーラといただきました!シュラスコとかもあります
いずみ緑道には
広場、公園が点在し
訪れたときはちょうど多国籍なフードが楽しめるイベントをやっていました
以前サンバパレードも見たことあります
利根川まで走り
堤上の自転車道を下る
「赤岩の渡し」
千代田町赤岩から利根川をはさんで対岸の埼玉県熊谷市葛和田をつなぐ主要地方道(県道)熊谷・館林線上を運航する。渡し舟。利根川広しといえども現在、県道として1つしか残っていない橋のない公道の1つ。自転車も載せられるので機会が有れば是非。無料です
利根大堰が見えてきた
利根大堰を渡り
群馬から埼玉へ
緑のヘルシーロードを通り
忍城へ向かいます
行田市街地を通る
「うまい、うますぎる」のCMで知られる銘菓「十万石饅頭」本店は明治14年建設の行田を代表する店蔵
埼玉県名称発祥の地・行田
行田市役所の近くにある忍城は映画「のぼうの城」の舞台となった場所。石田三成率いる豊臣方の水攻めに耐え抜いた逸話から浮き城または亀城と称された関東七名城の一つ。現在は「行田市郷土博物館 」として周辺の城址公園とともに整備されています
行田駅へ
堂内には秩父、坂東、西国の観音札所計百ヵ寺の観音像を安置し
右回りに堂内を一方通行・一筆書きで巡拝できることから「さざえ堂」の名があります
最上階は屋根裏が見える
折り返すように南東に進み
大泉町へ90年代から日系ブラジル人が多く居住し、現在はブラジルに限らず数多くの外国人が住む多文化共生先駆けの町。ブラジル料理店や外国人向けスーパーが数多く営業している
フェイジョアーダと
インカコーラといただきました!シュラスコとかもあります
いずみ緑道には
広場、公園が点在し
訪れたときはちょうど多国籍なフードが楽しめるイベントをやっていました
以前サンバパレードも見たことあります
利根川まで走り
堤上の自転車道を下る
「赤岩の渡し」
千代田町赤岩から利根川をはさんで対岸の埼玉県熊谷市葛和田をつなぐ主要地方道(県道)熊谷・館林線上を運航する。渡し舟。利根川広しといえども現在、県道として1つしか残っていない橋のない公道の1つ。自転車も載せられるので機会が有れば是非。無料です
利根大堰が見えてきた
利根大堰を渡り
群馬から埼玉へ
緑のヘルシーロードを通り
忍城へ向かいます
行田市街地を通る
「うまい、うますぎる」のCMで知られる銘菓「十万石饅頭」本店は明治14年建設の行田を代表する店蔵
埼玉県名称発祥の地・行田
行田市役所の近くにある忍城は映画「のぼうの城」の舞台となった場所。石田三成率いる豊臣方の水攻めに耐え抜いた逸話から浮き城または亀城と称された関東七名城の一つ。現在は「行田市郷土博物館 」として周辺の城址公園とともに整備されています
行田駅へ
サイクル・スポーツ用品






















