平林寺~六義園~大田黒公園

JR中央線を起点に平林寺~光が丘公園~旧古河庭園~六義園~トキワ荘~大田黒公園と紅葉の名所を巡るサイクリングコース

コース概要
JR中央線を起点に平林寺~光が丘公園~旧古河庭園~六義園~トキワ荘~大田黒公園と紅葉の名所を巡る。
距離:52.1km

平林寺~光が丘公園~旧古河庭園

三鷹駅と武蔵境駅の中間の新武蔵境通りからスタート。(多摩河原橋の通り)

西東京方面へ進みます。

道沿いに入口がある武蔵野中央公園から武蔵野市役所やNTTの研究所がある一帯は戦前・戦中は中島飛行機武蔵製作所があった場所。
当時は東京ドーム12個分という広大な敷地で軍用機のエンジンを生産していました。ちなみに国際基督教大学(ICU)+SUBARU東京事業所+野川公園+武蔵野公園の土地は中島飛行機三鷹研究所の跡地。
戦後、武蔵製作所の敷地は西側半分が米軍将校とその家族の宿舎として使用され(1973(昭和48)年に全面返還)、東側半分には野球場(グリーンパーク武蔵野競技場)が建設され、国鉄スワローズの主催試合が行われたこともあったそうです。
中島飛行機は三菱重工業と並んで戦前の二大航空機メーカーの一つだったため、日本本土空襲の最初の目標になり、何度も激しい爆撃を受けました。
中島飛行機・武蔵野競技場に通じるJRの支線が三鷹・武蔵境から伸びていた跡が緑道として残っています。
緑道が玉川上水を渡る「ぎんなん橋」にはモニュメントとしてレールが埋め込まれています。
一時的に米軍将校住宅や武蔵野球競技場が設置されていた賑わいの名残として古い商店街が狭い路地に残っています。
新武蔵境通りが伏見通りと名前を変え、青梅街道を越えると
西武新宿線をくぐるトンネルの左手前に「東伏見稲荷神社」があります。
「東伏見稲荷神社」は1929年(昭和4年)に京都の伏見稲荷大社から分霊を勧請して創建された神社で、付近の土地名や西武新宿線駅名もこの神社に由来しています。
京都の本家からかなりスケールダウンしますが鳥居が林立しています。
トンネルの上は東伏見公園として整備されています。
西武新宿線の上を越える。
広い道幅に対してそこそこの交通量なので自転車で走りやすい道だと思います。
西武池袋線をくぐる。
都道の宿命で都境を越えた地点で唐突に道が終わります。もうちょっと何とかならんか。
埼玉県に入り黒目川を渡って
西堀浄水場給水塔の脇を抜け
関越自動車道の上を交差
平林寺
平林寺は臨済宗の寺院。その境内林は武蔵野の面影を残す雑木林として、1968年(昭和43年)に国の天然記念物に指定されています。
11月下旬から12月上旬が紅葉の見頃
東京近郊では屈指の紅葉の名所!
玉川上水から分水された野火止用水が境内にも引き入れてあります。
川越藩主松平家の菩提寺であり一族の廟所があります。
雑木林を主とする広大な境内林は、総面積13万坪(東京ドームおよそ9個分)。
紅葉のトンネルの中を散策することができます
野火止塚と業平塚。両方とも由来や用途ははっきりしていません。

陣屋通り~畑中公民館通りを進んで
黒目川沿いに出て
斜張橋を渡り
市場坂通りから
陸上自衛隊朝霞駐屯地方面へ
駐屯地正門前の道を挟んで右側に大泉中央公園が広がっています。
少し進んだ道の左側は和光樹林公園になっています。
桃手通り~越後山通り~天王様の坂~牛蒡通りを通って
白子川を渡る。
白子川近くの銭湯「浩乃湯」。レトロな店構えが良い感じ。東映の戦隊モノのロケに何度も登場して一部の人には有名らしい。
牛蒡口から光が丘公園へ
光が丘公園と光が丘団地の土地は戦前は軍の成増飛行場、戦後は米軍の住宅として使用されていた場所。
6ヘクタールに及ぶ広大な芝生地や、2.4ヘクタールのバードサンクチュアリ、デイキャンプ場やバーベキュー広場などがあります。
樹齢100年を超す巨木が40本並ぶイチョウ並木。
大泉の東映撮影所に近いのでここも特撮モノのロケによく使われているそうです。
光が丘公園から秋の陽公園を抜けて
田柄川の暗渠道を進みます
緑道の手前で右折して陸上自衛隊練馬駐屯地の前を通り過ぎる。
城北中央公園の脇から石神井川沿いに左折。
石神井井川沿いを走ります
川沿いに桜が植えられているので春のんびりポタリングするのも良い。
城北中央公園横を抜けて環七を越えた少し先に
月をデザインした街灯が設置されている山崎橋。
周りに名所や商業スポットが有るわけでもなく、何故唐突にこうなっているかは謎。
現在の川越街道を横断したすぐ先に
旧川越街道が、石神井川を渡るために架けられた「下頭橋」があります。
橋のたもとにある「下頭橋六臓菩薩尊」は下頭橋の誕生逸話に由来するもの。
「橋のたもとで旅人から喜捨を受けていた六蔵(街道で馬による貨客の運送を職業とする馬方の通称)の金をもとに石橋が架け替えられたから」というものですが諸説あるようです。
東武東上線の高架をくぐる
川と交差する通りの駅側は中板橋の商店街になっています。

首都高5号線と国道17号を越えて
最初の橋が「板橋」の地名発祥の地。
旧中山道が石神井川と交差する場所です。
ここも春は桜が綺麗です。
橋の南側は旧中山道の宿場跡の仲宿商店街
仲宿商店街を抜けて中山道を1.7kmほど先に進むとJR板橋駅に出ます。駅東口のすぐ近くには新選組局長・近藤勇の墓があります。
近藤勇は流山で捕縛され板橋刑場で処刑されましたが、明治まで生き延びた元新選組二番隊組長・永倉新八によって処刑場の近隣にこの墓所が設けられました。(近藤の墓所は他にも数ヶ所あります)。碑には土方歳三の文字も。
石神井川をさらに下っていくと
「加賀」という地名の土地に入ります。
金沢・兼六園のシンボル徽軫灯籠(ことじとうろう)を模した石灯籠なんかも現れます。
この辺りは江戸時代、加賀前田家が下屋敷と広大な土地をに所有していた場所。石神井川沿いには加賀公園もあります。
加賀さくら橋、金沢橋などの名称の橋も近隣に架かっています。東大の本郷キャンパスも元は前田家上屋敷の土地だし、加賀百万石の財力恐るべし。
埼京線の線路をくぐり
滝野川橋を左に出て200mほどの場所に
北区中央公園があります。中央公園文化センターの建物は、戦前の東京第一陸軍造兵廠(兵器工場)の本部として昭和5年に建てられたもの。
アールデコっぽいんですよね。
中央公園の北側は陸上自衛隊十条駐屯地になっていて、隣接する東側には東京第一陸軍造兵廠時代の赤レンガ倉庫を利用した北区立中央図書館があります。
図書館から三平坂を下った先にある「名主の滝公園」。
「名主の滝公園」は、都内でも有数の8メートルの落差を有する男滝を中心とする池泉回遊式庭園を含む公園。
王子は地形的には武蔵野台地の突端に当たり、近辺に滝が多く、かつて「王子七滝」と呼ばれる7つの滝があったそうです。(現在は池の水をポンプで汲み上げて流してます。)
音無橋へ
音無橋の上を南西に入ると
醸造試験所跡地公園があり
明治37年(1904年)創立の醸造試験所時代の赤レンガ工場(重要文化財)が残されています。
たまにイベント等で内部が公開されることがあります。
音無橋から坂を登ると江戸時代から庶民に花見の名所として親しまれてきた飛鳥山公園
都電やSLの展示広場などもあり家族連れで賑わう人気の公園です。
飛鳥山には3つの博物館(渋沢史料館・北区飛鳥山博物館・紙の博物館)もあります。
現在の渋沢史料館が建つ飛鳥山公園の一角「旧渋沢庭園」は、渋沢栄一邸の一部です。現存する2棟の大正建築「晩香廬(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえんぶんこ)」は国の重要文化財に指定されています。
晩香廬は、渋沢栄一の喜寿を祝って現在の清水建設(株)が贈った洋風茶室。「喜」の漢字がデザインされています。

王子駅から飛鳥山に登ることができる「アスカルゴ」
飛鳥山公園前の明治通り交差点は都電荒川線が最も映えるビュースポット!
カーブを曲がりながら王子駅に続く坂道を上り下りする姿も良い!
本郷通りを進んで
旧古河庭園へ。六義園共通入園引換券が有るので六義園にも行く人は共通入園引換券を買いましょう。
古河財閥の古河虎之助男爵の邸宅跡で、大正6年(1917年)に竣工した洋館と西洋庭園はジョサイア・コンドル最晩年の作。
ジョサイア・コンドルは、明治時代に日本政府の招聘を受けて来日した所謂お雇い外国人建築家。鹿鳴館や丸の内の三菱一号館旧岩崎邸庭園も氏の手によるもの。
館の正面の庭園は春と秋はバラに彩られます。
洋館・西洋庭園から見下ろす位置には日本庭園が整備されています。
心字池を中心とした池泉回遊式庭園となっています。

六義園~トキワ荘~大田黒公園

本郷通りを下っていって
駒込駅前を過ぎてすぐ右手に
六義園があります。入り口向かいの小松庵は村上春樹「ノルウェイの森」作中に登場するお蕎麦屋さん。
六義園は小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられてきた「回遊式築山泉水庭園」
中の島を有する大泉水
ツツジの名所でもあります。
枝垂れ桜が有名でシーズン中はライトアップされ、多くの見物客で賑わいます。
六義園横を南西に進み
新大塚駅横を通過
護国寺の裏を通ります。
護国寺は徳川綱吉の時代に建立された真言宗の寺ですが、明治時代以降、東側半分は天皇と皇后を除く皇族専用の墓地(豊島岡墓地)となっています。
護国寺境内には大隈重信、山県有朋やジョサイア・コンドルなどの墓があります。
また境内には富士塚の「音羽富士」があるので時間が有るときに登ってみては?。
首都高5号線をくぐった先は雑司が谷霊園
1874年(明治7年)9月1日に開設された都営の墓地で著名人の墓も多い。
夏目漱石の「こころ」で「先生」が訪れていた場所。夏目漱石自身の墓もここにあります。
霊園に隣接した場所に明治40年(1907年)竣工の明治期の宣教師館が保存されています。
大正12年(1923年)から雑司が谷で商売を続けている昔ながらの街のパン屋さん「赤丸ベーカリー
チョココロネやグローブ型のクリームパンなど懐かしい味。
周辺は下町っぽい雰囲気。
雑司が谷駅の前を通り
雑司が谷鬼子母神参道へ

昭和7年(1932年)に建てられた五軒長屋をリノベーションした「並木ハウスアネックス」
その脇を入ると手塚治虫がトキワ荘の次に移り住んだ「並木ハウス」があります。
昭和28年(1953年)に建てられた賃貸アパートで今も現役。
国の登録有形文化財に登録されています。
鬼子母神堂へ
鬼子母神のシンボル・ザクロの実
境内に入って左手に稲荷神社があり、奥の大銀杏は樹齢700年とも伝えられています。
その先の左手にある駄菓子屋さん「上川口屋」はなんと創業1781年だとか。都区内でこれほど昔ながらの駄菓子屋の姿を留めているお店は他に無いのでは。
右手の大黒堂では名物の「おせんだんご」が売られています。
拝殿・相の間・本殿を一体化した権現造の鬼子母神堂は国の重要文化財
鬼から改心し仏に帰依したので鬼子母神の鬼の漢字にツノがない。
西参道を抜けて
跨線橋で山手線を越える。
JRを越えた先の道が「F.L.ライトの小路」と名付けられていますが、これは近くに近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトが設計した自由学園明日館があることに由来しています。
この建物も国の重要文化財に指定されています。
西武池袋線沿いに進み左に入った場所に平成に開設された小規模な日本庭園「目白庭園」があります。

その少し先になにやら立派な建物が。
「徳川黎明会」とあります。ここらへんは尾張徳川家、後の徳川公爵家の屋敷跡の土地なのだとか。
目白通りに出て
南長崎通り(トキワ荘通り)へ
藤子不二雄をはじめトキワ荘の漫画家達が通った中華料理店「松葉
トキワ荘公園の奥に
復元された昭和のアパート「トキワ荘」が建っています。
「トキワ荘」は手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫ら著名な漫画家が居住していた伝説的なアパート。
豊島区によって「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」として復元されました。
昭和のドラマとかのロケに使えそう。
漫画家や編集者が使った電話ボックスも復元されています。(使用できません)
公園に隣接した「ふるいちトキワ荘通り店」でグッズなども販売されています。
目白通りから恵比寿通りに入り
哲学堂通りに出て左折。哲学堂公園はかなり変わった場所です。
新井薬師の前を通り

早稲田通りから
馬橋公園の脇を抜け
阿佐ヶ谷神明宮の前を通り

荻窪の大田黒公園へ。音楽評論家の大田黒元雄氏の屋敷跡地につくられた公園です。
入り口から庭まで見事なイチョウ並木
回遊式日本庭園があり、紅葉の時期にライトアップされます。
入場無料でライトアップを楽しめる穴場スポット、でしたが最近は人気が出て穴場でもなくなってきたかな…。
大正~昭和初期の荻窪は文化人や政治家が好んで居を構えたり別荘を持つ場所でした。与謝野晶子の邸宅跡は「与謝野公園」として整備され、近衛文麿の旧宅・荻外荘は国の史跡に指定され建物の復元が進んでいます。
俳人で角川書店の創設者である故角川源義(げんよし)氏の旧邸宅も角川庭園として公開されています。

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