山高神代桜~旧甲州街道~諏訪湖

山高神代桜から甲州街道の旧道を辿って諏訪湖まで走るサイクリングロード。上諏訪側の木落し坂、上社前宮・本宮、御社宮司社などに寄り、諏訪湖サイクリングロードを一周する

コース概要
山高神代桜から甲州街道の旧道を辿って諏訪湖まで。上諏訪側の木落し坂、上社前宮・本宮、御社宮司社などに寄り、諏訪湖サイクリングロードを一周する
距離:75.2km
獲得標高:1,067m

山高神代桜~上諏訪木落し坂

日野原駅からスタート
駅前の道から武川方面へ
釜無川へ急坂を下る
釜無川を渡り神代桜の有る河岸段丘に上っていきます
山高神代桜は武川町の実相寺境内にあります
敷地内には水仙も咲き、足元の黄色と頭上の薄紅色のコントラストがとてもきれいです
身延山や臥竜の桜などの有名な桜の子を分けてもらって多数植えてあります

山高神代桜は福島県の三春滝桜・ 岐阜県の淡墨桜と並ぶ 日本三大桜の一つ野生のエドヒガンザクラで、推定樹齢は1800年とも2000年とも言われ、その風格には驚かされます。
樹高10.3m、根元・幹周り11.8mもあり、日本で最古・最大級の巨木として、大正時代に国指定天然記念物第1号となりました。伝説では、神話の武将ヤマトタケルノミコトが東征の折に植えたと言われ、名前の由来になっています
舞鶴橋で大武川を渡る。左手の斜面に桜の並木が見えます
斜面の足もとには「水車の里公園」
桜並木の坂を上っていくと
日本庭園に出る
3代目舞鶴松。元々は国の天然記念物に指定された樹齢450年の赤松「舞鶴松」という名木があったのですが、松くい虫の被害で枯れてしまい平成20年に惜しまれながら伐採されたそうです
萬休院の桜は 山高神代桜の見頃時期と近いのでセットで訪れることをおすすめします

釜無川側へ下って行って
旧甲州街道に入る
現在の甲州街道(国道20号)と交差
釜無川沿いに出ると
桜並木に三吹一里塚跡の石碑があります
いったん国道20号に出て
尾白川を渡り
すぐの場所に「甲州街道 古道入口 はらぢみち」の道標が有るので
古道に入ります(未舗装路)
馬頭観音の側面に行先が刻まれている
甲州台ケ原宿に現存する唯一の道標
少し進むと右手に上る階段がある
明治時代、日蓮宗の祖・日蓮聖人の六百遠忌に向けて切り出した石が資金難により釜無川が渡れず頓挫。この場所に、石塔だけが残されました。
ここら辺は本当に川っぺりであまり氾濫とかしなかったのかな?
国道20号と交差して台ヶ原宿に入ります
街道沿いにカフェが点在してます
老舗の酒蔵「七賢醸造元 山梨銘醸」。歴史ある建造物や、試飲のできる売店など酒蔵の雰囲気を満喫できます。
隣にある直営レストラン「臺眠」で地元野菜と麹を生かした料理がいただけます。サービスで出してくれる「七賢の仕込み水」が超口当たりが良くて「これが軟水か!」と衝撃を受けました。
斜め向かいの金精軒は生信玄餅が主力製品
七賢の酒粕を使用したご当地和菓子「虎頭の舞」。台ヶ原宿では獅子舞ならぬ虎頭舞いが9月22、23日に毎年行われるそうです
夏季限定で販売される水信玄餅も「映える和菓子」と人気

中山道では宿場毎に明治天皇御在所の碑が建っています
ほたる親水公園に鯉のぼりがたなびいていました
一里塚跡の碑
良い香りに誘われてZelkowaで昼食用にパンを購入
国道20号に入り神宮川を渡る
神宮川の桜並木
またすぐ右側の旧道へ
再び国道20号
すぐ左に
明治天皇御小休所跡の碑
またすぐ右手に入ります
こっちにも明治天皇の足跡
右手は釜無川
国道20号に入り
またすぐ旧道へ
山口関所跡
信州口を見張った甲州側の関所
関所からすぐに釜無川。すぐそばに甲六川が流れこみ、現在の山梨・長野県境になっています
少し国道20号を走ると
右手に旧道の入口が見えますが
国道20号を進んで「道の駅 信州蔦木宿」へ
山梨(甲州)と長野(信州)の国境ということで両方のお土産が売られています
右手に入ると旧道。少し戻った場所に蔦木宿の看板
クランクする桝形道路が設定されていました
国道20号に戻る
本陣と明治天皇御在所の碑
右側の旧道に入る
釜無川と立場川の合流地点を避けるように少し高い位置を通るのはやはり氾濫しやすい場所だったのかな
国道20号へ
立場川を渡ってすぐ左折
丘陵と集落をいくつか越えていきます
江戸時代の防風林の痕跡
塚平一里塚
「原の茶屋」の看板
ずっと上り基調だったがここら辺がいったんのピーク
集落の中に「桔梗屋」の屋号が掛かった旅館跡。正式な宿場と宿場の間の宿だったと思われる
集落を抜けると下り。諏訪湖を底とした盆地地形の内側へ入っていく
道沿いにはカゴメの大規模ハウス
左手には富士見パノラマリゾートが見える
ググっと下って
国道20号に合流
石碑のある場所を左に入る
またちょっと上って
御射山神戸一里塚
この一里塚は堂々とした塚らしい姿が残っています
再び下っていくと
道の合流地点に庚申塔
大沢地区の入口に寛政12年(1800年)に建てられた庚申塔
下って行って国道20号に入る
右折して旧甲州街道に進むと御柱に囲まれた石碑があり、諏訪文化圏に入った実感がわきます

中央高速の下をくぐり
茅野市街へ
上川の手前で中央線をくぐると
丘が見えます
丘の上には御柱!
御柱大祭の見せ場の一つ、木落しの会場です
ちょっとどうかしている7年毎に行われるお祭り・御柱大祭
ここは上社の木落しの場で下社の木落し坂は諏訪湖の北側にあります
諏訪湖の向こうに北アルプスの山なみも見えます
台ヶ原宿で買ってきたパンをここでパクリ

上諏訪神社前宮・本宮~諏訪湖

木落し坂から上諏訪前宮へ
諏訪大社は諏訪湖の南側に上社、北側に下社があり、上社が本宮・前宮、下社が秋宮・春宮に分かれる二社四宮で鎮座しています
上社前宮は諏訪大社の御祭神が最初に居を構えたと伝えられています
鳥居と手水舎などいくつかの建物を通り過ぎた奥の一段高い場所に



水眼(すいが)川が流れ
4本の御柱に囲まれた上社前宮が鎮座しています

敷地内のデザインマンホール。茅野は縄文土器推しでもあります

道端に諏訪頼重の供養塔。北条再興をはかって足利に反乱を起こした人物
「逃げ上手の若君」の重要人物です
子安神社。諏訪大明神 建御名方神の母神とされる高志沼河姫命が子安(安産)の神様としてお祀りされています
いったん岡谷茅野線(県道16号)に出て
すぐを左折すると
神長官守屋資料館があります。守矢家は洩矢神(諏訪の土着神)の子孫とされ、江戸時代まで 諏訪大社上社の神長官を務めた家。
守矢家の敷地内には神長官家が一子相伝の祈祷を行う祈祷殿や
ミシャグジとも称される諏訪の原始信仰みさく神(御左口神、御射宮司、御社宮司)の社がある。
資料館では守矢家の文書が保管・公開されています。

また4月15日に上社で行われる祭「酉の祭り」の現在の様子と
明治以前の様子の再現展示があります。
諏訪大社の祭祀は御柱をはじめ独特なものが多く、狩猟民の習俗をうかがわせます。 
 また周囲には史料館を設計した藤森照信によるユニークな建築物が点在しています
上社本宮へ
東参道大鳥居
東参道の鳥居の先には

二之御柱と入口御門
入口御門から桁行37間の長細い切妻の建物・布橋を通って幣拝殿まで歩きましょう
 布橋を抜け、北参道からの階段と合流した先にある幣拝殿と片拝殿。立川和四郎二代目富昌が上社棟梁と共に事に当り、天保二年から九年(1838)迄八年の歳月を要し現在の社殿が落成した。
神体山である守屋山に向かって祈願するための建物・勅願殿
本来の正面の大鳥居
大鳥居前を過ぎ先へ進みます
岡谷茅野線(県道16号)には下らずに一段高い場所の道を進む
一段高い場所に御柱が見えてくる
南方御社宮司社
すぐ裏を中央高速道路が通る
中央高速の開通に伴い南方約80mの地よりここに移ったと記されています
八ケ岳が良く見えます
視界先に諏訪湖
北方御社宮司社

諏訪善光寺
飯田市「元善光寺」から長野市「善光寺」へ本尊が移る途中で7年間、諏訪の地にとどまったと伝えられる
山姥塚古墳。あまり古墳らしくないけど
御社宮司社(蓼宮摂社)
不聞社。小さな社にも御柱。これは御柱の高さ・太さの差が大きい
町屋 御社宮司社
諏訪湖が近づいてきた
千鹿頭神社
名前から上社の御頭祭に供される鹿に関係する社と思われます
境内にミシャグジ社もあります

下って行って
諏訪湖畔へ
諏訪湖全周に歩行者と自転車を分離した遊歩道とサイクリングロードが整備されました
赤い道が歩行者専用
ベンチや休憩所も豊富に用意されています
1周16km
指定された場所で写真を撮ると記念品がもらえるスワイチ企画もあるようです
湖畔から高島城へ寄っていきます
湖畔に戻って上諏訪へ


諏訪市湖畔公園
諏訪湖を眺めながら入れる足湯が有ります
間欠泉センター。昔は高さ50メートルまで自噴していましたが現在はその勢いはありません
道の向こうにはタケヤみそ。味噌アイスとか食べられます
上諏訪から下諏訪へ進む
銀色の目立つ建物は諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館
諏訪大社下社に寄っていく場合はここらへんで湖畔を離れる
諏訪湖北岸真ん中あたりに突き出た赤砂崎公園
砥川ふれあい渚。空気が澄んでいれば富士山が見えることも
岡谷湖畔公園

天竜川の起点・釜口水門。ここから浜松/磐田まで続いているのか~

諏訪湖サイクリングロードは信号が一つもなく、止まらされることなく走れるのが楽で良いですね
ぐるっと一周して
片倉館で温泉に入ってから帰りましょう!

サイクル・スポーツ用品